作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが9日、死去した。99歳だった。瀬戸内さんは、作家として数々の小説を書き上げた一方で、恋愛にも命を燃やした。
かつて、瀬戸内さんは作家の井上光晴と不倫関係にあった。光晴の娘である荒野さんはやがて小説家になり、19年2月には長編小説『あちらにいる鬼』(朝日新聞出版)を上梓。そのモデルに選んだのは、父・井上光晴と母・郁子、そして光晴の愛人だった瀬戸内さんだった。
『あちらにいる鬼』刊行に際して、瀬戸内さんは荒野さんと対談。出家を選んだときに光晴がホッとした顔をしたこと、出家した日に妻・郁子が「行ってやれ」と光晴を寺に送り出したことなどを明かしていた。その対談を紹介する。
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井上荒野(以下荒野) 『あちらにいる鬼』は編集者に「ご両親と寂聴さんとのことを書いてみませんか?」と勧められて書いたものです。最初は寂聴さんもご存命だし、とても怖くて書けないと思っていましたが、江國香織さんや角田光代さんと寂庵をお訪ねして父の話を伺ってから、「私が書かないといけない、お元気なうちに読んでいただきたい」という気持ちに変わりました。
瀬戸内寂聴(以下寂聴) 私はなんでも書いていい、何を聞いてくれてもいいと思っていたので、ようやく本になってよかったわ。よく書けていましたよ。そもそも私と井上光晴さんとの関係は一緒に高松へ講演旅行をしたことがきっかけ。夜、井上さんが旅館の私の部屋に来て帰らないの。編集者が困ってね。で、何を言うかというと、「うちの嫁さんはとても美人で外を歩くとみんな振り返る」とか「料理がうまくてなんでもできる」とかそんなことばかり(笑)。
荒野 それで口説いてた(笑)。
寂聴 そのうち私の作品を見てもらうようになった。私はもう作家として立っていたから、そんな立場じゃなかったんだけど、書くものを純文学寄りに変えたいと思っていた時期で、井上さんに見てもらわないと不安だったのね。締め切り間際に書き上がると電車に乗って井上さんの家の近くへ行き、わざわざ見てもらっていた。井上さんも締め切りの時だから気の毒だったけど、見せないと機嫌が悪い。
荒野 いつ頃まで続けてたんですか? 父が病気になるまで?