――みはると篤郎の関係は有り体に言えば「不倫」だ。題材ゆえの難しさはあったのだろうか。
寺島:みはるは映画の初めから終わりまで「生ききる」人。寂聴さんも著作でおっしゃっていますけど「切に生きる」。その気持ちを全うしようとなさったんです。豊川さんはこの題材を演じるのに「篤郎をチャーミングに見せないといけない」と、すごく考えていらしたと思う。
井上:私はほかの作品でもよく「こんな男の人いないよ」とか「男がこんなこと(浮気)をしているのに我慢する女なんていないよ」って言われるんです。でも私にとっては「いや、でもいたしね、実際」と。
寺島:そばで見ていたしね、と。
井上:だからこそ不倫に、言い訳や理由を作ったりせずに、ただ「こういう人たちがいた」ということを書きたいと思ったんです。書きながら私自身が「愛とはなにか、正しい愛とは? いやそんなものあるのか?」などを考えさせられました。
寺島:篤郎とみはるの関係は出家してから本当に深まった気がします。いろいろなものを捨ててからのほうが逆に人間として執着があったというか。
井上 寂聴さんのお話を聞いても、出家で大きく何かが変わったという感じではないんですよね。世の中を捨てるための出家ではなくて、やっぱり生きていくための出家だったんじゃないかなと私は思っています。
■「ああ、もうそれ更年期ですよ」
――みはるの出家の理由のひとつに50歳を迎えた「女性の体や心の変化」が描かれることもハッとさせられる。
井上:更年期、というのは寂聴さんがポロッておっしゃったんですよね。私が「なぜ出家したんですか」と一生懸命に聞いてもずっとはぐらかしていらしたのですが、ふと「でも更年期とかもあったかもね」って。
寺島:寂聴さんは51歳で得度されているんですよね。私、今年50歳になるんですよ。体の変化も実際にあって、訳もなく気分がモヤモヤしたり、ぐったり寝込んでいたりする時期もあった。みはるが不正出血で病院に行くと医師に「ああ、もうそれ更年期ですよ」みたいにいなされてどんよりするというシーンがあって、その感覚もすごくよくわかる。もう少し若かったら演じる感覚も違ったかもしれない。