「参加者に、『こういう会があってよかった』『人生もう一度やり直そうと思えた』などと言ってもらえるのがうれしくて、ここまで続けてこられました」(同)
交流会は「天国組会」の中に、「死別3年以内の会」「40代50代子供のいない方の会」「高校生以下の子供がいる方の会」「伴侶自死の会」など、細分化されているのが特徴だ。
「ある程度細分化することで、参加者に同じ経験を共有、共感してもらいやすくしています」(同)
◆没イチという呼称の是非
さまざまな交流会を主催してきた林さんは、死別経験者の苦悩を間近で見続けてきた。
「故人を思って一生暮らすのが筋、と言われることもあるようですが、いま生きている人のほうが大事で、支えが必要なはず。暗くなる必要はないし、交流会はいつも笑いあり涙ありです。オンライン開催になったことで、地方の人や子育て中で手が離せない人も参加しやすくなりました」(同)
参加者の中には、「自分の経験を生かして活動を手伝いたい」という人もいるといい、ある女性は九州を拠点にした交流会「彩(いろどり)にじ倶楽部」を立ち上げた。
ところで死別経験者の中には、没イチという呼称に嫌悪感を抱く人も少なくない。前述の小谷さんが「没イチ会」を立ち上げた時には、既にこの単語があり、小谷さんが発案者ではないという。
「『バツイチ』を言い始めた明石家さんまさんが『僕はバツイチ、君は没イチ』と言ったという話があるのですが、定かではありません。“没”には戦没者のように死の意味があるのですが、捨てるというイメージがあり、故人を捨てるようで冒涜していると感じる人もいるようです」(小谷さん)
小谷さんは、「没イチ」という言葉はあくまで当事者が「死別」を端的に表すために用いるものだと考えている。
「誰かが『あなた没イチですよね』と言ったらそれは失礼でしょう。でも、死別、未亡人、男やもめという単語がいいとも思えません。バツイチのように端的な言葉があることによって、死別経験者の存在がもっと知られていくことになるのではないでしょうか」(同)
“没イチ”というと、特殊な存在と感じる人もいるかもしれないが、離婚しない限り、誰もがいつかは没イチになる。
「どちらが先に死ぬかはわかりません。その確率はフィフティー・フィフティーです。もし自分が没イチになった時に、どう生きていくかは誰もが考えなくてはいけないことなんです」(同)
(ライター・吉川明子)
※週刊朝日 2021年11月26日号より抜粋