AERA 2021年11月22日売り表紙に村上茉愛さんが登場
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――この選択は結果的に吉と出た。そして、入学直後、どん底から抜け出すきっかけとなる出来事が起こる。15年4月の全日本個人総合選手権。ゆかで予定していた最後の宙返りを「放棄」したのだ。

 朝起きたら腰が痛くて、「今日の試合はだめだな」とすぐに諦めてしまった。今考えたら、すごく恥ずかしいことをしてしまったけど、あの時は深く考えていなかったから、平然とああいうことができたんだと思います。

――24選手中21位という散々な結果に終わったあと、指導を受ける瀬尾京子監督に呼び出され、2時間の説教を受けた。

「考えを改めなさい」と言われました。その時は気持ち的にも荒れていて、「改めるって言われてもなあ」と思ったんです。そのあとも、すぐに行動を変えられたわけじゃなく、髪の色を明るくして注意されたり、態度の悪さが原因で母が呼び出されたり。でも、母が隣で泣いているのを見て「これじゃダメだ」と。そうやって時間をかけて「改める」という言葉の意味を理解していきました。

 練習も徐々に変わっていきました。以前は失敗したら、そこで終わっていた技の練習も「成功するまで」とか「あと何本はやる」とか毎日コツコツやれるようになりました。

――今月8日の引退会見でも、最も思い出深い試合として、この「惨敗」を挙げた。そして、言葉を詰まらせながら言った。

 あれで強い意志とアスリートとしての自覚を持てるようになりました。あの言葉がなかったら、今はないのかなと思っています。

メダルをとり続ける

――17年の世界選手権のゆかではついに頂点に立った。そして、2大会連続出場となった東京五輪ではゆかで銅メダル。日本女子が表彰台に上がるのは、団体で銅メダルを獲得した1964年の東京五輪以来という快挙だった。

 自分の存在を広く知ってもらえるようになったと感じたのは16年のリオデジャネイロ五輪なので、「遅咲き」と言う人もいると思うんです。でも、日本の女子体操界でこれだけ長く一線でやる選手も、五輪に2度、出る選手もなかなかいない。そういう選手になれて誇らしいです。

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