「○○ジャパン」という意味では、「ラモスジャパン」の誕生を期待した者もいるはずだ。Jリーグ創世記のスター選手として活躍したラモス瑠偉。“ドーハの悲劇”を味わったオフトジャパンでは背番号10を背負い、力強くチームを引っ張った。現役引退から8年後の2006年にJ2・東京Vの監督に就任し、翌2007年にJ2で2位となりJ1昇格を果たしたが、翌年はエグゼクティブディレクターとしてフロント入り。2014年からJ2・岐阜で再び監督業をスタートさせるも、1年目に17位、2年目も20位と結果を出せず、3年目にシーズン途中解任。フロントとの確執も取り沙汰された。その後、自身3度目のビーチサッカー日本代表監督を経て、2020年2月に古巣・東京Vのチームダイレクターに就任。辛口な“ラモス節”は健在だが、監督としてのキャリアは途切れたままだ。

 そのラモス瑠偉と同じ“ドーハ組”からは、現日本代表監督の森保一と次期代表監督候補に名前が挙がる長谷川健太の2人のJリーグ優勝監督が生まれたが、彼らはむしろ例外的。当時、最も「監督的」だった“闘将”柱谷哲二は、2002年にJ1・札幌の監督に就任するも途中解任となり、2008年にはJ1・東京Vで指揮を執ったが17位でJ2降格。その後、J2・水戸で5年間チームを指揮したが、17位、13位、15位、15位と下位低迷が続き、5年目にシーズン途中解任。その後J3の鳥取、北九州でも結果を残せなかった。

 その柱谷とコンビを組み、代表主将の座も受け継いだ井原正巳は、コーチとしては手腕を発揮したが、監督としては“微妙”だ。2009年にJ1・柏の代行監督を務めた後、2015年にJ2・福岡を率いてプレーオフからJ1昇格を果たしたが、翌2016年にJ1最下位となって1年で即J2降格。2019年からJ1・柏のヘッドコーチを務めて選手から高い信頼を寄せられているが、現役時代に「アジアの壁」と呼ばれて歴代2位の代表キャップ数を誇る男としては、随分と控えめな指導者キャリアとなっている。

 さらに柱谷、井原の後に日本代表の主将を務めた森岡隆三も、引退後に指導者の道を歩み、J2・京都のコーチやU-18チームの監督を経て、2017年にJ3・鳥取の監督に就任したが、結果を残せず。1年目にシーズン17位と低迷すると、2年目の2018年も開幕から不振が続き、6月にシーズン途中解任となった。同じく日本代表の名DFとして名を馳せ、2度のW杯出場を果たした秋田豊も、監督としての成績は芳しくない。2010年のシーズン途中にJ1・京都の監督に就任するも、就任後2勝3分14敗という結果で、わずか半年で解任されることになった。

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今後は元一流選手の名監督が生まれるか