元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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テレビがないので、月に一度の父宅訪問でつけっぱなしのNHKを見るのが我が唯一のテレビタイムなんだが、先日、ちょうど立憲民主党代表選の候補者討論会をやっていた。当然、ほぼ初めて見る表情と声ばかりだったんだが、思わず「お、なかなかいいじゃん!」と思ったのです。
皆様地味で、落ち着いていて、終始にこやか。泉サンと小川サン整髪料つけすぎ……と引っかかった他は、どの意見もすんなり心に伝わってきた。それは候補者も同様だったのか、討論会なのに「やりあってる感」ゼロ。お互い頑張りましょうとか、意を強くしましたとか言い合っている。心安らぐ光景である。
だが翌日の新聞を見ると「まるでサークルの代表選び」と酷評。キャラが立っていた自民党総裁選と比べて迫力不足すぎるという指摘も目立った。確かに総裁選は視聴率も取れたらしいし、それと比べたら「ダメじゃん野党」ってことになるんでしょうか。
でもね、私はそうは思わなかったよ。そういう批判をする人は「強い指導者」「カリスマ」みたいなのを求めてるんでしょうが、それも相当古くないですかね?
私が討論に好感を持ったのは、数多(あまた)の難問解決のために「こうすべき」というのでなく、「どうすべき」かを考えていきたいという姿勢が見えたからなのだと思う。甘いこと言うな、こうすべきってものがあってから立候補しろという主張も分かるが、でもさ、今目の前にある大問題、環境破壊も地球温暖化も人口減少も格差拡大もコロナも「こうすべき」なんていう分かりやすい解決策があるのかね?
カリスマ指導者の出現で全部解決なんて幻想だ。だって問題を作り出してるのは政治じゃなくて我ら一人一人の厄介な欲望なんである。変わらなきゃいけないのは政治よりまず我々なんである。
だからね、弱いリーダーもアリなんじゃないか。弱いから、みな寄ってたかってどうにかしようと頑張る。そのことが世の中を変える。そういう時代なんじゃないかと私は思うのであります。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2021年12月13日号