古賀稔彦さん
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 今年3月、がんのために亡くなった柔道家・古賀稔彦さん。柔道五輪金メダリストの吉田秀彦さんが先輩をしのぶ。

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吉田秀彦さん
吉田秀彦さん

 1992年のバルセロナ五輪は神がかっていました。初日の練習で僕と古賀先輩が組み合ったときに、「ボキッ」て音がして、瞬間的に「やっちまった」と思いました。左ひざに大けが……。先輩は金メダル最有力候補。選手村では同室でしたが、責任を感じている僕にいつもと何も変わらず「俺、優勝するから。お前も金メダル取れ」とだけ。

 先輩は歩くのもままならない状態で、コーチ陣は不出場という覚悟もしていました。でも、試合当日、痛み止めの注射を打つと、それまで足を引きずっていたのに、テーピングをした途端に走りだしたんです。考えられなかった。絶対に金メダルを取るという強い気持ち一つで痛みは消せるのかと。

 先輩は本当に金メダルを取りました。すると僕に、「これで日本に帰れるな」と言ってくれました(笑)。先輩が金メダル、僕も金メダル、後から考えれば計算されつくしたようなドラマチックな展開でした。

 普段は面倒見のいい先輩でした。高校生だった講道学舎時代、掃除、洗濯など、後輩がやる仕事をすべて自分でやっていましたし、日曜の午前中の練習後にはクッキーを焼いてくれました。

 先輩が弱音を吐いたことはありません。がんについての話もしなかった。昨年会ったとき、少しやせたなと思いましたけど「大丈夫だよ」と。

 でも、亡くなる前日は会話もできない状態で、ショックでした。手を握って「頑張ってよ」って言ったら握り返してくれたんです。神がかっている人だから絶対に回復すると信じていました。まさか次の日に亡くなるなんて思わなかった。「あとは頼んだよ」という思いがあったのかな。

 先輩は子どもたちに、いつも楽しく柔道を教えていました。技術論よりも精神的なこと。柔道を通して生まれる人と人とのつながりは一生の宝です。先輩はそういうところを一番大事にしていました。だからこそ慕われたんだと思います。

 亡くなって半年以上たちましたが、毎日先輩のことを思います。神棚に写真を飾っていて「今日も一日頑張ります」とあいさつするのが日課です。先輩のように子どもたちに楽しく柔道を教えていきたいと思っています。

(構成/本誌・秦 正理)

週刊朝日  2021年12月24日号

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