サンミュージックの創業者・相沢秀禎さんの通夜で焼香する松田聖子さん(右)と神田沙也加さん/2013年5月28日
サンミュージックの創業者・相沢秀禎さんの通夜で焼香する松田聖子さん(右)と神田沙也加さん/2013年5月28日

 沙也加さんは2017年に俳優の村田充と結婚したが19年に離婚した。聖子はこの結婚が気に入らなかったという。

「聖子さんはとにかく無駄が嫌い。自分の結婚する相手は石原軍団の神田正輝さんだったり、お医者さんだったり、ある一定のポジションの人です。だから、村田さんとの結婚はお気に召さなかったんだと思います」(前出の芸能プロダクション関係者)

 先の城下氏は、母娘の関係をこう言う。

「言うこと聞かないからお小遣いをあげないみたいな親子ゲンカもあったようですよ。そういう状況の中、聖子さんはもう自分がプロデュースしていたらダメだと思ったんでしょうね。そこで、聖子さんのマネージャーだった人が、女優の大地真央さんのところにお願いに行ったのです」

 2006年、沙也加さんは大地の舞台に出ることになった。

「亜門さんの2004年の舞台から06年までの間、沙也加さんはアルバイトしたり、普通の生活をちょっと味わってみたりしていた。そして、大地さんの一級品の舞台に出られるようになり、歌もセリフも覚えた。沙也加さんは舞台漬けの生活で鍛えられ、開眼しました」(同)

 大地さんの推しもあり、沙也加さんは次々に舞台に出るようになった。

「本人もやる気で歌もうまいからミュージカルができる。ミュージカルができる舞台俳優はすごく重宝され、年に2本、3本と舞台に出るようになりました。目鼻立ちもハッキリしていて舞台にはプラス。セリフまわしもしっかりしていて、舞台の仕事が途切れることはありませんでした」(同)

 舞台女優として順風満帆の人生のように見えた沙也加さんに、いったい何が起きたのか。沙也加さんを見てきたテレビ関係者は、こう話す。

「松田聖子の娘というのは一生言われるので、沙也加さんもつらかったかも。ただ、35歳という年齢なので母娘の関係が原因ではないと思います」

 成長してからの両親との関係はどうだったのか。

次のページ
放任主義だった神田正輝