<aAERA12月27日号に登場した中山咲月さん>
AERA12月27日号に登場した中山咲月さん

 ただ、「理解できなくてもいいから、知ろうとすることだけはやめないでほしい」という気持ちでずっといました。「こういう人もいる」ということをわかってもらえたらそれで十分だ、と。未知のものに対して攻撃的になるよりは、無関心でいるか、興味があるか、そのどちらかの方がいい。

 理解されなくてもいい、と思うようになったのは、自分が既存の価値観を押しつけられてきた、という意識があるからだと思います。自分が押しつけられ「イヤだな」と感じたことがたくさんあったので、他人に同じことはしたくない。

 自分はトランスジェンダーとして生きていく、と公表しましたが、「男性に見えなければ男性に見えなくてもいいです」と周囲には伝えています。「押しつけはよくない」という気持ちを軸に物事を考えているところはありますね。

必要なのは1.5歩

――性的多様性は、現代を生きる多くの人にとって無関係なテーマではなくなった。お互いが心地よい関係を築くために必要なのはどんなことだろうか。

 エッセイの中で「知ってもらうために必要な行動力は1歩ではなく1.5歩」と表現したのですが、当事者とそうでない人の間には大きな壁があると感じています。とはいえ、どちらも同じ人間であり、性別に対し悩みを持つのと同じように仕事や人間関係における悩みはきっとある。そうした意味では「悩みって平等だな」とも思うんです。

「これを言ったら相手を傷つけてしまうかもしれない」と思ってもらえるだけでうれしいんです。「傷つけたくない」という気持ちだけでも十分伝わります。経験上、「距離を置かれるくらいなら、傷つけてもいいから話しかけてほしかった」と思うこともあります。たとえば、傷ついた時には「いまの言葉、ちょっと傷ついた」と素直に伝え、無意識に傷つけてしまった側は「ごめんね」という会話のやりとりがあれば、それでいい。お互いそうした一言があれば、距離を感じることもないんじゃないかな、と感じています。

次のページ