『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木 忠平 文藝春秋
『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木 忠平 文藝春秋
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 BOOKSTANDがお届けする「Yahoo!ニュース|本屋大賞 2022年ノンフィクション本大賞」ノミネート全6作の紹介。今回取り上げるのは、鈴木忠平(すずき・ただひら)著『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』です。

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 2004年から2011年までの8年間にわたり、中日ドラゴンズで監督を務めた落合博満。すべての年でAクラスに入り、日本シリーズに5度進出、一度は日本シリーズ優勝まで果たすという偉業を成し遂げたにもかかわらず、多くを語らない姿勢や「オレ流」の采配を貫いていたために、フロント企業やマスコミ、そして野球ファンから厳しい視線を注がれ続けた人物でもあります。

 『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』は、そんな落合の「なぜ語らないのか。なぜ俯いて歩くのか。なぜいつも独りなのか」という人物像を浮かび上がらせたルポルタージュ。当時日刊スポーツの記者だった鈴木忠平氏が、落合博満という人間に影響を受けて自身の在り方を激変させていった12人の男たちの姿を通し、その実像に迫っています。

 落合のドライな人間性が早々にわかるのが第1章です。監督就任時、落合は「すべての選手にチャンスがある」とし、ひとりの選手も戦力外にすることなく現有戦力で一年目のシーズンを戦うと宣言しました。これに選手たちは胸をなで下ろしますが、その一年後、落合は13人の選手に戦力外通告し、7人のコーチとの契約を解除することとなります。つまり、一年をかけて戦力となる者とそうでない者を冷静に見極め、自らの手でふるいにかけたというわけです。

 このように、勝つという目標に向けては「信頼」や「繋がり」といった感情を捨て去るのが落合流と言えます。2007年の日本シリーズ優勝の王手をかけた一戦では、落合は完全試合目前の9回にピッチャーを交代するという前代未聞の決断を下します。感動ドラマも個人の栄誉も度外視した勝利には賛否両論が巻き起こりますが、「これまで、うちは日本シリーズで負けてきたよな。あれは俺の甘さだったんだ......」「負けてわかったよ。それまでどれだけ尽くしてきた選手でも、ある意味で切り捨てる非情さが必要だったんだ」(同書より)と落合は著者に語ります。そこにあるのは、多くのものを捨て去ってでも自身の道を突き進む者の凄み。「理解されず認められないことも、怖れられ嫌われることも、落合は生きる力にするのだ」(同書より)と著者は記します。

 こうした落合の性(さが)は、8年をかけて確実に選手たちの間にも伝播していきます。最初は全体主義だった集団が、どんな状況に置かれても自分の仕事をするというプロフェッショナルさを身につけ、次第に個を確立した者たちの集まりへと変化を遂げていくのです。それはまた、ロスジェネ世代として人生を劇的に彩るものを持てなかった著者の内面をも変えることとなりました。取材を通して落合と関わる中で、著者は「自らの喪失を賭けた戦いは一人一人の眼前にあった」ことに気づくのです。

 ひとり戦うことは、心細く不安なもの。けれど、だからこそその先で手にする勝利は尊いことを同書は教えてくれます。野球に興味がない人にとっても、自身の生き方を考える上で、強く心に残る一冊となることでしょう。

[文・鷺ノ宮やよい]