歌川国芳作「東海道四谷怪談」/歌舞伎作者は鶴屋南北。天保7(1836)年7月。「蛇山庵室の場」で、提灯が燃えて中からお岩の亡霊が出てくる「提灯抜け」の場面。1832年に、七代目は長男に八代目團十郎を襲名させ、自らは「海老蔵」を名乗った (c)クールアート東京
歌川国芳作「東海道四谷怪談」/歌舞伎作者は鶴屋南北。天保7(1836)年7月。「蛇山庵室の場」で、提灯が燃えて中からお岩の亡霊が出てくる「提灯抜け」の場面。1832年に、七代目は長男に八代目團十郎を襲名させ、自らは「海老蔵」を名乗った (c)クールアート東京
この記事の写真をすべて見る

 近世から近代へと駆け抜けた歌舞伎役者の市川團十郎の姿をとらえた歌川派の浮世絵師たちがいた。だが、絵は時好に背を向けられ、100年以上もお蔵入り。今、その封印が解かれる──。AERA 2022年10月3日号の記事を紹介する。

【写真】三代目歌川豊国(初代歌川国貞)作 「助六」

*  *  *

 江戸歌舞伎の中核的存在で、広く庶民に愛されてきた歌舞伎役者、市川團十郎を描いた浮世絵が多数、残存していることが分かった。江戸後期から明治にかけて活躍した七代目、八代目、九代目團十郎を題材とした100作以上で、浮世絵師は初代歌川国貞、歌川国芳、豊原国周ら歌川派が中心だ。歌舞伎研究者も高く評価する。折しも、11月からは「十三代目市川團十郎白猿」らの襲名披露興行が東京・歌舞伎座で開幕することもあり、話題を呼びそうだ。

 浮世絵群は、クールアート東京(本社・東京都)が管理する120年以上続く浮世絵の宝庫「浅井コレクション」に眠っていた。一見して、鮮烈な色彩が目を射抜くように迫る。赤、青、緑、黄色、黒などの色がそれぞれ幾種類もの色調を見せる。版木の木目とおぼしき跡が残る作品も多い。

 市川家の家の芸「歌舞伎十八番」を制定した七代目團十郎(白猿、1791~1859)、長男で早世した美男子の八代目(1823~1854)、腹違いの弟で、「劇聖」と称賛され近代歌舞伎を切り開いた九代目(1838~1903)が活写されている。

■世相の緊迫感も

 腕を振るったのは歌川派の絵師たち。歌川国貞(後の三代目歌川豊国、1786~1864)は美人画、役者絵で知られ、その好敵手だった歌川国芳(1797~1861)は武者絵や構想豊かな戯画で台頭。国貞門下の豊原国周(1835~1900)は奇抜なデフォルメを施した役者絵を得意とした。

 考証・分析を指導した古井戸秀夫・東京大学名誉教授(歌舞伎研究)は「これほどきれいな色彩で、これほど多くの市川團十郎の浮世絵がまとまっているのは極めて珍しく貴重だ。爛熟期の歌舞伎と浮世絵の精髄が出合った形ともいえる。幕末、明治時代と続く世相の緊迫感もみなぎっている」と指摘する。

暮らしとモノ班 for promotion
台風シーズン目前、水害・地震など天災に備えよう!仮設・簡易トイレのおすすめ14選
次のページ