三代目歌川豊国(初代歌川国貞)作 「助六」/安政2(1855)年8月。花魁2人は役者の似絵ではない、とされる。死絵の可能性もある (c)クールアート東京
三代目歌川豊国(初代歌川国貞)作 「助六」/安政2(1855)年8月。花魁2人は役者の似絵ではない、とされる。死絵の可能性もある (c)クールアート東京

 作品群には「勧進帳」「助六」「暫」「矢の根」といった「歌舞伎十八番」物が目立つ。松竹が運営するサイトによると、十三代目團十郎白猿を襲名する現在の市川海老蔵さんも「まずやるべきは『勧進帳』の弁慶と『助六由縁江戸桜』の助六であると考えました……王道をしっかりと、という思いです」と言う。「歌舞伎十八番」は市川家に欠かせない演目なのだ。

■色彩の点で優れる

 浮世絵の実例を見てみよう。

 国貞作「助六」(1855年)は中央に八代目演じる江戸随一の色男の助六を置き、両脇に、花魁の揚巻と白玉を配している。古井戸さんは「両側が女性というのは珍しい構図だ。女性が夢中になった八代目の面目躍如といえる構図ではないか。八代目は『美男の團十郎』のさきがけになったと言える」と話す。

 国周作「与衆同楽」(1887年)は東京・麻布鳥居坂の井上馨邸で明治天皇が臨席して上演された「天覧歌舞伎」の「勧進帳」を描く。源義経一行に立ちはだかる難所を弁慶の機転で逃れる人気演目で、九代目の弁慶らが表現されている。

 古井戸さんは「浅井コレクションの中には、皇后や女官たちが洋装で、團十郎の弁慶の扮装が異なる作品もあり、見比べることができて面白い」という。

 多色刷りの浮世絵は、肉筆浮世絵と違って、一点物は存在しない。今作などについても、同一図柄のものが他にあるが、浅井コレクションは色彩の点で優れる。

 文化文政期から幕末に向け、江戸の文化は爛熟から頽廃の様相を帯び、「生世話物」という肌感覚に訴える鶴屋南北の歌舞伎が嗜好されるようになる。国芳作「東海道四谷怪談」(1836年)は、森田座での上演に即した作品。七代目の民谷伊右衛門が苦み走った「色悪」として描き出されている。

■八代目に光当てる

 團十郎代々の活躍ぶりは知られているが、今回の作品群はとりわけ八代目に光を当てる。

 服部幸雄著『市川團十郎代々』によると、「粋で、上品で、色気があり、それでいていや味がなく、澄ましていても愛嬌があった」という風情。御殿女中たちが、八代目の痰を守り袋に入れて身につけた、という伝説も生まれたほどだ。

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