豊原国周作「与衆同楽」/明治20(1887)年4月。上演に即した絵 (c)クールアート東京
豊原国周作「与衆同楽」/明治20(1887)年4月。上演に即した絵 (c)クールアート東京

 原因不明で、32歳で自ら命を絶ってしまったが、死を嘆く声は後を引き、今回の中にも、鬼が迎えにきた八代目に娘や女房たちがしがみつき、引き留めようとする驚倒すべき図柄の作品がある。国芳による嘉永年間ごろの「死絵」(死者への追善の意を込めた絵)とみられる。

 南北と組んで活況を呈した七代目だったが、天保の改革で「江戸所払い」の憂き目をみることに。その危機を美男子の八代目が救おうと奮闘するも、大阪で自ら絶命してしまう。しかし、後を引き継いだ九代目が、明治の新時代にふさわしい歌舞伎を築き上げていく──作品群を眺めると、こんなストーリーが立ち上がってくるようだ。

 なぜ、これだけの色彩を保持した浮世絵が残っていたのか。

「浅井コレクション」は、大阪で書店を経営していた実業家浅井勇助さんが1897年ごろに創設。収集作は、江戸後期から明治にかけて制作された約3万枚に及ぶ。絵師たちも他に、初代歌川豊国、初代歌川広重、月岡芳年ら錚々たる面々で、屈指の個人コレクションといえる。網羅性を高評する専門家もいる。

 浅井コレクションの4代目の浅井秀さんは言う。

「曽祖父は、背景に物語があり、幕末・明治という激動の時代の気分を映す浮世絵を集めようとしていた」

 浅井さんによると、これまで市川團十郎の浮世絵は出品記録がないという。「時代のニーズもなく、結果として秘められた作品群となった」。このため、所蔵庫に安置され、光などの影響による退色が起きず、当時の色彩を鮮度高く保った浮世絵が残ったとみられる。

 浅井さんは「今、諸外国からも浮世絵に熱い視線が向けられています。文化立国を目指すうえで、浮世絵は日本の力になる伝統文化です」と力説する。

 近く展覧会を催す計画も進んでいるという。

(元朝日新聞記者・米原範彦)

AERA 2022年10月3日号

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