
だが調べるほどに、F27と呼ばれるこの菌株の活躍を知ることになる。
「当時は原木栽培に加え、空調栽培のはしりといってよい時期。ナメコは10月中旬から11月に採れますが、一部の生産者は小さな部屋でクーラーをかけて、9月に発生させていました」(熊田さん)
生産コストがかかるので、9月のナメコは高い値段で販売されていた。また原木栽培は生産量と時期が限られていた。かつてナメコは高級品だったのである。それに対してF27はというと、
「自然状態でも9月に出るんです。それだけでなく、空調がある施設で1年中栽培できます。短期間で成長するので、施設の回転率もいい」(同)
効率のよいF27を施設で生産する動きが、全国に広まっていった。
林野庁の統計によると、ナメコの国内生産量は1960年代に2千トン台で推移していた。庄司氏がF27を採取したのは62年。ナメコの生産量は67年に3698トンと大幅に伸び、あとは右肩上がり。73年に1万トン台に、86年に2万トン台に突入した。
おかげでナメコの“価格破壊”が実現。庶民が気軽に味わえるようになったのは、ひとえにF27普及のおかげ……という説を立証したくて30年が過ぎてしまった。
前置きが長くなったが、ここからがルーツ発見に至るストーリー。
熊田さんは東日本大震災以降、放射能の影響などの研究に奔走し、ルーツ証明のための時間はなかなか取れなかった。
定年退職が迫り焦燥感を募らせるなか、思いもよらぬ助け舟が出た。福島大学共生システム理工学類の学者たちとの共同研究が実現したのだ。兼子伸吾准教授が語る。
「林業研究センターと放射線の影響に関係する研究をしていたとき、熊田さんが『ところで、こういうことをやっているんですが』と言ったんです。それで一緒に始めました。解析に使ったのは、犯罪捜査のDNA鑑定や親子鑑定に使われるのと同じようなキットです」
■熊田さんの思い 手弁当で助ける
兼子さんは、野生の生き物の血縁関係を調べる研究をしてきた。
「野生生物の場合は、たくさんある遺伝子情報のどこを調べたらわかるか明らかになっていないものが多いんです。ここを調べれば血縁関係がわかりますよ、というところを最初に特定する必要があるんですが、それが難しい。努力すればわかるというものでもなく、運も重要です。私はキノコの分析は初めてでしたが、意外とスムーズに特定ができて、研究が進みました」(兼子さん)