広告やアートの世界を長く見てきた戸田は、時代は大きく変わったという。いまは、コンピューターやカメラなどさまざまな機器が発達したことで、どんな人でも、プロとして突き詰めた人でなくても、「ある程度のこと」はできるようになったと感じる。その結果、微妙な差にこだわることが少なくなったのではないか、という。もちろん、バブル期などとは違い、日本企業が広告やアートにそこまでコストをかけられなくなったという背景もあるだろう。
だからこそ戸田は、今回の展覧会で、プロが切磋琢磨しあった当時の熱を若い人にも感じてほしいと思っている。
■AERA創刊時の熱
その戸田は、言わずと知れたAERAの生みの親の一人だ。1988年の創刊当時から26年間、表紙のアートディレクションを手がけた。いまも表紙に使われている「AERA」のロゴは、戸田の作品だ。
「AERAを立ち上げる時にも、朝日新聞がつくるのだから名前に『朝日』を入れなければならない、いや新しいものをつくるのだから名前に朝日は入れないほうがいいんじゃないかと侃々諤々の議論がありました。そして『AERA』でいく、と決まった。ここにも、いいものを作りたいという熱が詰まっていました」
戸田は、フォトグラファー・坂田栄一郎とタッグを組み、数々の世界じゅうの要人やスターを表紙にしてきた。思い出話を聞くと、英国の元首相のマーガレット・サッチャーを表紙にしたときのことを語った。
「AERAは広告やアートとはまた違って、リアルを追求しなければならない。シワもそれはその人の生きざまだから当然、残します。それと表紙としての品を追求して、いい形で表現しなければならない。出てくださった人がどんな反応をするのかはいつも不安がありました」
そのサッチャーからは、AERAの表紙に掲載されたあとに、とても気に入ったという反応をもらい、ほっとしたのを覚えているという。
今回の展覧会には、南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラと、映画監督の黒澤明が登場したときのAERA表紙が飾られている。そのほか、戸田がアートディレクションを手がけたAERAの表紙登場者のリストも掲示されている。
戸田は最後に力を込める。
「アートもスポーツと同じ。切磋琢磨して競争をするからこそ、いい仲間ができ信頼も生まれる。そういう熱気が再び生まれてほしい」(文中敬称略)
(編集部・木村恵子)
※AERA 2022年8月15-22日合併号