AERAの生みの親の一人、日本を代表するアートディレクターの戸田正寿。時代が移り変わるなかで、広告やアートを通して訴えたいものは何か。AERA 2022年8月15-22日合併号の記事を紹介する。
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意外な言葉が口をついた。
「見てほしいのは『競争』の跡なんです」
言葉の主は、日本を代表するアートディレクター、戸田正寿(74)。現在、出身地である福井県の県立美術館で、戸田が手掛けてきた作品を一堂に披露する、これまでの集大成とも言える展覧会「“創造する広告⇔アート⇔新しい光”戸田正寿の世界」が開催されている。
■世界をあっと言わせる
その見どころは「競争」なのだという。一見、アートと競争は水と油のようにも感じるが、戸田によれば違う。
「1980年代、広告のアートディレクションが華やかだったころ、デザイナー同士のいい意味での競争心があった。いいものを作ろう、他にはないものを世界に発表してあっと言わせたい、そんな思いがこだわりを生み、数々のいい作品を生み出したんです」
こんなことがあった。
伊勢丹からの依頼を受け、広告を手掛けていた戸田。世界的なフォトグラファーであるスティーヴン・マイゼルと、ポスターなどの撮影に臨んでいた。起用するモデルも決まり、撮影が行われる準備が進んでいたが、直前になって、スティーヴン・マイゼルから「どうしてもこのモデルを使いたい」と、違うモデルでの撮影の打診があった。
ギリギリのスケジュールだったが、そのこだわりにクリエイティブチームは一丸となって応え、さまざまな方面への調整をし、モデルを代えての撮影が行われた。そしてできあがったクリエイティブは、世界中から大きな喝采を浴びたという。
そのモデルとは、当時まだ無名だったナオミ・キャンベルだった。戸田は言う。
「こんなことがよくありました。でもそのこだわりが嬉しかった。絶対成功させていいものを作りたいという熱が現場に渦巻いていたのを覚えています」