■琴線(きんせん)
琴の発する音色が人に感動を与える

「琴の線」なので、もともとは「琴の糸」の意味です。その琴の糸から発せられる音色が、人の心を動かすことから、心の奥に秘められた、感動し、共鳴する心情を比喩的に表すようになりました。そこから、感動や共鳴を与えることを「琴線に触れる」というようになったのです。

■姑息(こそく)
本来は「卑怯な」という意味はなかった

「姑」と「息」で「卑怯な」という意味にはつながりそうにありません。ここでは、「姑」が「ちょっと」、「息」が「やむ」「それでいい」という意味です。つまり、「姑息」はもともと「一時の間に合わせ」「その場のがれ」という意味なのです。物事に正面から取り組まず、一時しのぎの対応をすることは潔くないことから、「卑怯な」という意味で用いられるようになったと考えられています。

■失笑(しっしょう)
本来の意味は思わず噴き出してしまうこと

「笑いを失う」ということは、笑っていない状態なのでしょうか。ここでの「失」は、抑えておくべきものを抑えられなかったり、うっかりしたりして外へ出してしまうという意味があります。「失言」や「失火」などと同じです。したがって「失笑」とは本来、笑ってはいけない場面でおかしさにこらえきれず噴き出して笑う、という意味なのです。しかし、愚かな言行によって笑われることを「失笑を買う」ということから、「あきれた笑い」の意味で用いられることが多くなっているようです。 

■玄人(くろうと)
「玄」は「黒」よりも深遠な色

かつて、技芸などが熟達していない人のことを「白人(しろひと)」といい、反対に熟達している人のことを「黒人(くろひと)」といいました。それぞれ音が変化し「しろうと」「くろうと」となり、「素人」「玄人」の字が当てられたといわれています。「素」はもともと、糸束を染料につける様子を表し、結び目の部分が染まらずに白く残ることから「白」の意味があります。「玄」は黒く染まった糸束を表し、「黒」の意味があります。「玄」の色は「黒」よりも深遠で、熟達していることに通じることから用いられたと考えられています。

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「御の字」は「一応OK」という意味ではない