水谷さんは元オリンピックスキーヤー、杉山さんの滑りに目を奪われた。
「いやー、これは、山岳写真よりもスキー写真を撮ってみたいと思ったね」
その後、志賀高原に設立されたばかりの「杉山進スキースクール」に入学。滑りの技術を学ぶとともに「スキーに対する考え方から生きざままで、すべてを間近で見せてもらった」。
■スーパースターはすべて撮った
67年、水谷さんはスキー写真家としてデビュー。それは、異色の経歴だったという。
「俺や横山さんみたいに山の世界からスキー写真に入ったやつは珍しかった。ほかはみんな、スキーヤーだったからね。『スキーができなくて、スキー写真を撮っているのは水谷と横山宏しかいねえよ』って、言われたくらい、ばかにされたんだよ」
実際、「俺は山ヤだったから、初めのころは雪の上を歩いて、先生が滑る姿を撮っていた。そうしたら、『スキーを撮るのに、スキーができなかったら、あかんだろう』と、言われて、しょうがなく、スキーをやるようになったんだ」。
だが「俺はのちになっても、スキーテクニックは下手でね」と、しみじみ言う。
「まあ、そんなもんさ。25くらいからスキーを始めたって、なかなかうまくならないよ。アルペン競技なんか撮りに行くと、足元はカリカリのアイスバーンでしょ。そこを横滑りで、いちばん上から下まで、でーっと滑ってきた。そんな経験をしながら、どんどんスキー写真にのめり込んでいったんだ」
スキーの腕前はともかく、持ち前のガッツでスキーヤーに肉薄し、実績を重ねていくと、「アップの水谷」の名が広まった。「撮影してほしい」という依頼がどんどん舞い込むようになった。空前のスキーブームも後押しした。
「杉山進さんを筆頭に、スーパースターはすべて撮ったね。外国の選手ではインゲマル・ステンマルク、アルベルト・トンバとか」
■自分が中心となって撮る喜び
水谷さんは81歳。「スポーツ写真の第一線は退いた。それは、納得している」。
一方、いまも毎年3~4回は冬山に登り、スキー写真を撮り続けている。荒々しい冬山の自然のなかに身を置き、その変化を読み、スキーヤーと2人で映像をつくり上げていく醍醐味(だいごみ)。スキー写真にはほかのスポーツ写真にはない魅力があると、水谷さんは作品を手に熱を込めて語る。
「この場面にスキーヤーが入って、雪煙が上がったら、美しいだろうなあ、って、思うんだ。そういうイメージが豊かに湧いてくる。カッコよく言うと、美感覚。そういう美しさに対する感性みたいなものが鋭くないと、なかなかこういうものはつくれない。さらに、美しさのなかにも、迫力がないとね。それを自分が中心となって、つくり出していく。そこに喜びを感じちゃうと、もう忘れることはできないんだよ」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】水谷章人写真展「甦る白銀の閃光」
フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 1月4日~3月30日