70歳まで外科医としてメスを振るっていた小堀鴎一郎医師は2005年に外科医から、活動の場を在宅医療に移した。以来16年、400人近い患者の最期の日々に寄り添った。その実例から、在宅死の現場の実情や課題を考えてみる。
* * *
文豪・森鴎外の孫でもある小堀医師は、著書『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』で1965年に亡くなった作家・中勘助の随想「母の死」の一部を引用した。1934年に亡くなった母の死に際が描かれている。
<いよいよ最後の時が迫ってきたようだ。ときどき見えそうな目をあいて見まわしたり、人の顔に視線をとめたりするがわかる様子もない。なにをきいてもうなずくこともしない。ただ反射的に手足を動かしてるらしい。苦痛もない。おそらく苦痛を感ずる力もないのだろう。私との感情関係は母のほうからはもう断たれてしまった。(中略)夜。冷っこくなった母はこの世につくべき息の残りをしずかについている。母の臨終が精神的にも肉体的にも安らかなのが嬉しい>
自宅で親を看取り、死にゆく母の枕もとで安らかな死を喜ぶ。そんな死の場面が当たり前だった時代は消えゆき、今では家族の死の大半は自宅ではない“外部”で迎えられる。
厚生労働省の人口動態統計によると、1950年代には80%以上だった「自宅死」の割合は2000年代に入って10%台まで落ち込んだ。代わって80%近くにまで増えたのは「病院死」である。この大きな変化の原因は、交通網の発達で病院へのアクセスがよくなったことと、在宅と病院との医療レベルの格差が広がったことにあると言われている。
こうした時代の変化を見てきた83歳の小堀医師は、在宅医療を始めて、ある問題に気付いた。
「病院死が増えた結果として、自宅で病人を看取る記憶が失われ、自分や家族がいずれ死ぬという実感がなくなってしまっていると痛感したのです」
小堀医師はそう言って、自分の死を認められない人々の事例を紹介してくれた。