痛いほど冷たい夜だった。それなのに女性たちの多くはとても薄着だった。手袋をしている人もマフラーをしている人もほとんどいなかった。高いヒールに疲れて地面に座り込むようにしている女性もいた。女性、と書いてはいるが、私から見れば多くは、幼い顔をした「女の子」である。
ビルというビル全てからまぶしいほどの光が放たれ、騒音が噴き出すように街を埋める。そんなビルの合間に座り込んだりする女の子たちは疲れきった表情なのに、それでも「ありがとうー」「元気でねー」とぱっぷすのスタッフを逆に励ましたりしている。初めての私が慣れない手つきでお菓子と連絡先を手渡した10代にしか見えない若い女性など、「頑張ってください!」なんてことを、私に言うのだった。
私が歌舞伎町にいたのは夜の早い時間のたった2時間だ。しかもたった1日に過ぎない。スタッフに聞けば、女性の年齢は決して若年だけではなく40代、50代も少なくないという。24時間の託児所に小さな子をあずけて働く女性たちもいる。子供を転落死させてしまった女性と私が見たことを簡単に結びつけることはできないが、追いつめられている女性たちがこの街に向かう理由はいくらでもいくらでもいくらでもあるのだ。
昨年12月7日、女性相談員の兼松左知子さんが亡くなった。96歳だった。1957年の売春防止法の施行にともなって求められた相談員として、街に立つ女性たちに声をかけ、信頼関係を築き、性暴力や性搾取にあえぐ女性たちの人生に伴走するように生きてこられた。兼松さんの現場も新宿で、50年に渡って現役の相談員として女性たちを支えてきた。
売春防止法が施行されて今年で65年経つが、性産業は縮小するどころか、女性たちの人生をのみ込み続けている。それは、この国の性差別状況がほとんど変わっていないことを意味するのだろう。働く女性の8割が非正規雇用であり、非正規雇用の7割が女性という現実は、この国を生きる女性にとっては未来が常に不安定であるということを意味している。歌舞伎町にいた数時間で私はずっとお金の話を聞いていた。セックスの値段はいくらなのか。ホテルに泊まるのにいくらかかるのか。コンドームをつけずに中で射精したらいくらもらえるのか。ホストへの借金はいくらなのか。生活するのにいくらかかるのか。人生にあといくら必要なのか。私たちはいくらなのか。