日本にパンダがやってきて50年。日中国交正常化の象徴として実現した来日の裏では政治家らの思惑が渦巻き、飼育員たちは手探りの奮闘を余儀なくされた。“国賓級”の待遇で迎えられた当のパンダたちも、過熱するフィーバーにフラフラとなり……知られざる秘史をひもとく。
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1972年9月29日、北京で日中共同声明の調印式が行われ、田中角栄、周恩来両首相(肩書は当時のもの、以下同)が固く手を握り合った。両国の国交が正常化した瞬間である。
日本中を驚かせる発表は、その後の記者会見で行われた。二階堂進官房長官が、オスとメス2頭のパンダが中国から日本へ贈られると語ったのだ。
政治評論家の森田実さんが説明する。
「日本にパンダが贈られると予想をする人もいなかったわけではありませんが、願望レベルの話でした。裏では極秘に進んでいたのでしょうが、官房長官の会見で初めて明らかになった。政治家はサプライズが好きですからね。でも今と違うのは、角栄さん自身でなく官房長官が発表したこと。昔の首相たちは派手な場にしゃしゃり出ず、他の人に花をもたせたものです」
この会見に最も驚き、慌てたのは、後にパンダの受け入れ先となる上野動物園だろう。事前に何も聞いていなかった。それどころか、訪中していた代表団が帰国してからも一切連絡が来なかった。
「発表は『パンダが日本国民に贈られる』。上野に贈られると発表されたわけではありませんでした」(上野動物園教育普及課。以後、上野動物園)
にもかかわらず、二階堂会見が報じられるや、同園には問い合わせが殺到した。『上野動物園百年史』には、当時の様子がこう記されている。
<電話交換室は、突然の嵐に襲われることになった。あらゆる報道関係、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌はもちろん、一般市民の方々からもひっきりなしに電話がかかって来たからである。(略)しかし、この時点では、何時、何処に、どのようなパンダが来るか、一切不明だったのである>
とはいえ、飼育の準備をしなければならない。