実際に来日を果たしたことで、ブームは過熱。パンダ舎の裏側にある東京芸術大学の屋上には、望遠レンズを構えたカメラマンが張り込んだ。
一般人からの関心もあまりに高いので、夜間は園職員による定時巡回に加え、上野公園前交番の警察官がパンダ舎周辺をパトロールした。
そんななか、徐々に日常生活を取り戻していった2頭だったが、お披露目においてパニックになってしまった。
11月4日。歓迎式典と関係者への特別公開が催された。式典出席者は150名! 報道陣が350名!! オランウータンによってくす玉が割られて「歓迎 ジャイアントパンダ 蘭蘭 康康」の垂れ幕が下がると、2頭のパンダが相次いで外に出てきた。湧き起こる拍手、響き続けるシャッター音。パンダたちは落ち着きを失い、呼吸のペースが上昇。予定を早め2時間で室内に収容された。
さらに翌日の一般公開。早朝から続々と人が詰めかけ、特設入場門前には2キロもの列ができた。ガードマンと機動隊5個中隊が派遣されたが、開門と同時に駆け出した人々を整理しきれなかった。
そのため急遽、1列にして止まらず歩きながら見学する方法に切り替え、「2時間並んで見物50秒」と嘆息された。
いずれにせよ、殺到する見物者と整理のための大声に、パンダはおびえた。興奮して走り続け、ついには口から泡を吹いてしまったという。
パンダ人気は絶大で、翌73年の上野動物園の入園者数は約880万人に達した。なんと対前年比で約300万人の増加となったのである。
上野の街も活気づいた。上野観光連盟の二木忠男会長が語る。
「大きなパンダの風船を台車にのせ山車のようにして、中央通りから公園の入り口まで盛大に練り歩きました。商店街ではパンダのぬいぐるみが売られましたが、まだ詳しくわからなかったので、尻尾は黒かったそうです。2008年にリンリンが亡くなり、一時、上野からパンダがいなくなった。すると人出ががくんと落ちたんです。パンダはこの街に欠かせない存在だと改めて知りました」