「日本の粉の質が良すぎたようです。もっと質の悪いものを与えてほしいと指導されました」(上野動物園)
日本の粉は精製されすぎていて、これでは下痢を起こすと指摘されたのだ。皮肉なことに日本のメーカーは、質の悪い粉を作らない。試行錯誤の末、トウモロコシと大豆をミキサーにかけて粗めの粉を作って蒸したところ、中国側から「可以(OK)」が出た。
ところで、「パンダ外交」の裏では、政治家たちによる様々な思惑が渦巻いていた。先に日中国交正常化に伴い、パンダが贈られるかもしれないという声があったと記したが、その根拠を森田さんが解説する。
「1930年代に、あるアメリカ人が中国でパンダの子どもを生け捕りにして帰国。生きたパンダの可愛さに触れたことで、パンダブームが起きた。これを受け、中国はパンダを外交戦略に利用した。蒋介石は第2次大戦中の41年、抗日戦への助けを期待して、アメリカにパンダを贈っています」
中華人民共和国樹立後は、毛沢東主席がパンダ外交を引き継いだ。
「旧ソ連などに贈っています。角栄さんの訪中に先立つ72年2月にニクソン米大統領が訪中したときも、毛沢東は2頭寄贈しました」(森田さん)
もっとも、当のパンダは人間の思惑や苦労など知るよしもない。10月28日午後6時50分。2頭のパンダ、オスのカンカンとメスのランランが、JAL専用機で羽田空港に降り立った。二階堂官房長官が出迎えるなど、まるで“国賓”のような待遇だった。
すぐに室内温度20度に設定されたトラックに移され、パトカーの先導のもと時速40キロ、ノンストップで8時30分に上野動物園に到着した。
パンダ舎に入った2頭は気が高ぶっていた。特にカンカンは臭い嗅ぎを繰り返し、走り回るなど興奮状態が続く。11時50分には突如、クーン、クーンと鳴き出した。
中川飼育課長は、この鳴き声から寂しさと不安を感じとった。後に上梓した書籍『パンダがはじめてやってきた!』には<胸にしみこむような物悲しいような響きをもっている。(略)幾百の言葉よりも切実に私たちとパンダを結びつけた>と著している。