「それまで園で実際にパンダを見たことのある人は一人。中川志郎飼育課長が、ロンドン動物園に研修に行ったときに見ただけでした。急いで海外の文献を探しましたが、『人とパンダ』という書物、図鑑、シカゴのブルックフィールド動物園が編集した解剖書の3冊が手に入っただけでした」(上野動物園)
その一方、国内の多くの動物園が立候補を表明し誘致運動をするなど、混乱を極めた。
この動きに決着がついたのは、10月5日になってから。上野動物園の園長らが首相官邸に呼ばれ、二階堂官房長官から「上野で飼育してほしい」と伝えられたのである。
パンダが到着するのは、10月28日。二階堂会見から1カ月、正式の飼育依頼から3週間余りしか時間はなかった。
「普通の動物でも、そんなに短期間で来ることはありません。中国から飼育担当者が来日したのはパンダと一緒なので、事前に中国側から指導をしてもらったわけでもありません。すべて手探りでした。どんな動物であっても、飼うのにはリスクが伴います。国を背負っての飼育ですから、相当なプレッシャーがあったと思います」(上野動物園)
パンダ舎が新設されるまでは、トラ舎の一角を改造して暫定的に使用することに決めた。
ところがこれについて、「隣にトラがいることでパンダは恐怖感を抱くに違いない」と一部から批判を浴びた。ロンドンやモスクワの飼育環境をもとに出した結論だったが、過熱した周囲が知識もないままに勝手な想像で騒ぎ立てたのである。
飼料確保にも苦労した。『上野動物園百年史』によると、
<とくに問題になったのは飼料用の笹、竹の収集であった。1日分や2日分ならばともかく、1日20kg以上の竹や笹をこれから継続的にずっと確保しておくことは決して容易なことではなかったからである。飼料班の人々は、都内はもちろん、埼玉県、千葉県、栃木県など、竹のありそうな所を求めて走った>
蒸混合料と呼ばれるトウモロコシ粉、大豆粉などを混ぜ合わせて蒸したものも準備された。飼料班は都内の飼料会社を駆け巡り、上質の粉を仕入れた。しかしこれは後に、パンダと共に来日した北京動物園の飼育責任者からダメ出しを食らった。