王将戦の今期リーグが終わった際、藤井はそう言っていた。しかし王将戦での連勝を合わせると、2日制での対局は14勝1敗(勝率9割3分3厘)。言うまでもなく、相手はタイトルを争うトップクラスだ。これを得意と言わずしてなんというのか。もちろん持ち時間が短い設定で藤井が弱いわけではない。しかし考える時間が長くなればなるほど、藤井の持ち味はさらに発揮されるようだ。
「もうちょっとまともな将棋を指せるようにやっていきたいと思います」
渡辺は次局への抱負を聞かれ、そう答えた。あまりに強い藤井を相手に、ここから立て直せるだろうか。
■「スコアは意識しない」
70年以上の歴史を持つ王将戦では、これまで、さまざまなドラマがあった。
1965年度(第15期)の七番勝負では、昭和半ばの絶対王者である大山康晴王将に、新時代の旗手・山田道美八段が挑んだ(肩書はいずれも当時)。
山田はよく戦い、大山を3勝1敗で追い詰める。そこで対局場となった宿の主人から色紙を求められた。山田は、いま書くのは気が乗らないので、あとで書いて送ると答えた。なんということもなさそうなやり取りだ。しかし大山は山田に心のスキを見いだしたような気になった。相手は色紙に書く肩書を「八段」ではなく「王将」にしたいと思っているのではないかと。
実直な人柄の山田が、はたしてそんなことを考えていたのかどうかは伝わっていない。しかし大山はそう解釈して負けん気を起こし、残る3番を勝ち、大逆転で防衛を果たした。
現在の将棋界では、そうした人間の情念を感じさせるようなエピソードは減ったかもしれない。羽生善治九段(51)、渡辺、藤井といった現代のトップは、盤外のあれこれを盤上に持ち込むようなことはしない。
王将位を通算10期獲得すると「永世王将」の資格が与えられる。そのハードルは高く、現在までには大山(20期)と羽生(12期)の2人しか達成していない。現役では渡辺が5期で最も永世王将の座に近い。しかし藤井が立ちはだかる現在、前途は多難だ。