医師になってからも江澤医師の挑戦は続いた。当時の大学病院の産婦人科は当直が多く、まさに激務だった。つらい、眠い、もう限界。いやまだ大丈夫、まだいける……。自分の限界がどこなのかを見失うようなハードワークの中でも同時に研究活動を続け、医学博士を取得した。

■宇宙飛行士への挑戦 最終試験で涙をのむ

 医師になって10年が過ぎた。学位取得後は「これからは、やりたいことを全部やる」と決め、ハープを習い、船舶免許やセスナの免許を取得した。そして飛び込んできたのがJAXA(宇宙航空研究開発機構)の10年ぶりの宇宙飛行士募集だった。

「子どものころから宇宙へのあこがれがありました。それが実現可能になったんですから、チャレンジしたいと強く思いました」

 1千人近い応募者のなか、江澤医師はファイナリスト10人に選ばれた。女性はただ一人。最終試験は、閉鎖環境の中で1週間の共同ミッションをこなす。最終的に油井亀美也さんほか2人が合格を果たしたが、そこに「江澤佐知子」の名前はなかった。

「それでも最高の経験でした。職業も人生経験も違うプロたちが、同じ志をもって協力しあうと、ここまでハイレベルなことができるのか、と。いまでも彼らは人生の友です」

 1年という時間をかけて挑んだ夢が破れ、いっときは抜け殻のようになった。それでも産婦人科の仕事は江澤医師を待っていてくれた。

「患者さんに『先生の顔を見たら元気になったわー』と言われると、もっと自分の経験を医療の現場に還元したいと思ってしまうんです。それで再び次の挑戦へと足を踏み出すことにしました」

■医師を続けながら早稲田大学に入学、法律の研究に挑む

 今度は法律を学ぶために早稲田大学法学部に学士入学を果たした。38歳だった。

「海外では普通に使われている薬でも、日本で薬事承認されていなければ莫大なお金がかかります。そんな問題について考えるには、法律の知識が必要だと思ったんです」

次のページ
ハードだった「二足のわらじ」