始発の永代橋停留所から目黒駅前までロングランする5系統の都電。都電後部の永代通りでは、営団地下鉄(現東京メトロ)東西線の建設が本格化し、道路上には残土搬出櫓が林立していた。永代橋~越前堀(撮影/諸河久:1965年9月5日)
始発の永代橋停留所から目黒駅前までロングランする5系統の都電。都電後部の永代通りでは、営団地下鉄(現東京メトロ)東西線の建設が本格化し、道路上には残土搬出櫓が林立していた。永代橋~越前堀(撮影/諸河久:1965年9月5日)

 八丁堀線の開業当初、東湊町(後年越前堀に改称)~永代橋の軌道は、この写真より200mほど北側の道路に敷設されていた。1923年9月の関東大震災で一帯は灰燼となり、八丁堀線は震災復興道路として造営された新道上に1929年頃に移設された。ちなみに、八丁堀線と接続する千代田橋線(大手町~永代橋)の永代橋停留所は、新道移設時に300mほど南側に移転している。

永代橋停留所付近の近景。鍛冶橋通りに旧東新川橋跡の起伏が残っている。右端のガソリンスタンドの存在が定点撮影の目安となった。(撮影/諸河久:2022年1月17日)
永代橋停留所付近の近景。鍛冶橋通りに旧東新川橋跡の起伏が残っている。右端のガソリンスタンドの存在が定点撮影の目安となった。(撮影/諸河久:2022年1月17日)

 最後の写真が永代橋の近景で、旧東新川橋跡の道路勾配は今も残る。ブランド名は変わったが、旧景右端のガソリンスタンドも健在で、ガソリン価格高騰によりレギュラーが162円/Lの価格を付けている。旧景左端に写る東洋熱工業は1988年に同地にテナントビル東熱新川ビルを竣工させている。当時最先端のインテリジェント化と環境対策技術を取り入れて、我が国初の氷蓄熱空調システムを採用したことで知られている。

■撮影:1965年9月5日

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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