何ひとつ現世で得た物を持って死ねないんだから、心の執着もないまま死ぬのが天国への近道で、地獄へ行くのは執着がそう決めるのであってエンマ大王が決めるわけではない。自分の中のエンマ大王が決めることではないだろうか。よく「死んだら無心になりたい」と特に知識階層の人達はそう言われるが、もし無心になりたいなら、死んでからなるのではなく、今、今生で無心にならなきゃ、死んでから無心になるのは無理じゃないでしょうか。

 と考えると、人間は生きている間に、死んだ気持ちで生きていれば、何も問題はないということではないのかな?

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

週刊朝日  2022年2月18日号

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