企画を持ちかけたのはモデル事務所N・F・B社長の岩崎アキ子だった。69年、アンアン創刊準備室以来の仲で、互いに20代だった。淀川を、岩崎は「可愛らしかった。映画評論家の淀川長治さんの姪御さんということもあるけれど、品の良いお嬢さんっていう感じね」と言う。「立木義浩さんや今野雄二さん、編集者なら木滑(きなめり)良久さんや石川次郎さんみたいな格好いい男たちから、美代子、美代子って呼ばれて」
社屋は東銀座の古びた木造だったが、新雑誌準備室は六本木に置かれた。実行したのが淀川に雑誌のイロハを教えた木滑だった。「ファッションコラムを担当してもらったんだけど、読者から電話が鳴りやまなくなった。彼女の判断基準は自分。自分が買って満足したものを紹介していた」(木滑)
淀川は仕事ができる美少女と噂になる。その美少女が編集長になったアンアンは空前の売り上げを達成する。
「栄光の編集長です。週刊ポストや週刊文春ならまだしも、オシャレな週刊誌が100万部。想像の域を超えた」。淀川と編集人生を歩んだマガジンハウス元社長、石崎孟(つとむ)が更なる秘話を語ってくれた。(次号に続く)
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞
※週刊朝日 2022年2月18日号