延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
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 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。マガジンハウス淀川美代子さんについて。

【写真】小林麻美さんを起用して話題をさらった「クウネル」の表紙

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 昨年の11月、一人の編集者が亡くなった。出版社の枠を超えて時代を作った、美意識の塊のような人で、とてつもない雑誌を編集した。編集者は黒衣だと表舞台に出ることはなく、彼女の遺志によりその死も時間を置き、役員会議を経て1カ月後、社員に伝えられた。

 海に散骨されたと聞き、僕の心にぽっかり大きな穴が開いた。彼女の名前はマガジンハウスの淀川美代子。訃報に接し、彼女が編集長だった「クウネル」のページを開いた。

「なんでもいい。好きに書いて」。その依頼に胸が高鳴った。彼女は磨き抜かれたセンスで女性誌の頂点にいた。英語教師だった若かりし母の姿を、小学生の僕の眼差しでビートルズのメロディに合わせ書いた。「エッセイ、ありがとう。とても好きでした」。メールを受けとり数カ月後の訃報だった。

「出版社に入ったばかりの頃、パーティでアニエスベーの革のミニを穿いた姿に、あ、淀川美代子さんだと思った」と友人の編集者。「何年か経ち、金城武の写真集を売り込みに行ったら、『あのね、アンアンは大衆誌なの。金城のハダカくらいなきゃダメ』。叱られて嬉しくて。高校時代は淀川さんの雑誌を読んで少しでもオリーブ少女に近づこうと思ったほどだから」

 僕が淀川と出会ったのは『小林麻美 第二幕』(朝日新聞出版)の取材だった。彼女は四半世紀ぶりに復活した小林麻美を「クウネル」の表紙に起用、サンローランのタキシード姿で婉然と微笑む写真で、新たな伝説の一ページがめくられた。

「カメラマンもスタイリストも30代だった。25年前の麻美さんを知るわけがない。『雨音はショパンの調べ』をYouTubeで勉強してもらって(笑)」

 小林麻美の登場は発売当日まで極秘にされた。「印刷会社にも秘密扱いをお願いして、発売日はバーンと広告を打って、スクープっぽく。姿を消していた25年が本当にいい時間だったと思わせるような表紙になった。麻美さん、よく出たわねーって、みんなびっくり」

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