アグネスさん(撮影/張溢文)
アグネスさん(撮影/張溢文)

 確かにお金もたくさん入って、引っ越しもし、家族の生活は変わりました。二番目の姉は香港大学の医学部に入ったので、周りから見れば、成功者の一家です。でもそのころ、家の中では喧嘩が絶えなかったんです。「もっと寝かせたほうがいいんじゃない?」「その映画はやらなくていいんじゃない?」など、喧嘩の原因はいつも私。父は口数が多い方ではなかったのですが、姉と母はよく喧嘩をしていました。

 それが本当につらくて、よく私は泣いていました。父はそんな私を見て、「もうやめたほうがいい」とカナダに留学することを提案してくれたのです。カナダは長兄が留学した場所でもあったので、自然な選択でした。

 ただ母は猛反対。何度も家族会議をしました。最終的に私自身がカナダに留学することを決意したのですが、それは父の

「名声やお金は流れていくけれど、知識は一生の宝になる」

 という言葉があったからです。

 当時私は21歳。そこから約2年間、カナダのトロント大に留学します。初めて自由な生活を謳歌することができたのですが、カナダに行ってから半年後、父が病気で亡くなってしまうのです。ですから、最初の半年は楽しく過ごせたのですが、それ以降は悲しみが深すぎて、よく泣いていました。心の支えがなくなり、今度どうしていくべきかも悩みました。

 父は無条件に私を愛してくれたんですね。周りは「どこまでこの子は売れるか」という商品価値を見る目で私のことを見ていた面もあったのですが、父は全くそれがなかったのです。

 その後、日本の芸能界に復帰して活動を再開します。1985年、30歳の節目の年は仕事でもプライベートでも転機がありました。「24時間テレビ」でエチオピアに訪れたり、マネージャーをしてくれていた夫との結婚。その翌年に長男が誕生し「アグネス論争」(※第一子を出産したアグネスさんが赤ちゃんを連れてテレビ局に行ったことがマスコミに取り上げられ、その是非をめぐりあらゆるメディアで起こった論争のこと)が起こります。あの当時は、母親になっても、もっと働きやすい状況があれば良いのに……とつらく感じていました。

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