義足モデル、海音。人気キッズモデルだった。街を歩けば、スカウトされるのが当たり前。おしゃれが好きで、モデルの仕事が好きだった。12歳で難病になり、右膝下から切断する手術をした。義足を誰にも言えず、モデルの道も一度はあきらめた。それでも、海音は義足モデルとして復帰を決意した。どんな夢でも叶えるために、この足で強く歩いていく。
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その日、8月24日20時、東京・神宮外苑の空に花火が打ち上がった。世界中から集まった約4400人のパラリンピアンによる祭典が始まろうとしている。
フューシャピンクのドレスと同色のウィッグの海音(あまね)(20)。そばをデコトラが走り、ギタリストの布袋寅泰がプレーする。
エレクトリカルファンタジーの世界で、右足の膝(ひざ)下にシルバーの義足を装着した海音はまるで近未来から降ってきたサイボーグビューティーだ。
東京パラリンピックの開幕を告げるオープニングイベントは世界中に配信される。世界のクリエーターが注目するこのイベントは、海音が義足のモデルとして世界にデビューする舞台だ。
12歳で難病にかかるまで海音は売れっ子のキッズモデルだった。右足の膝から下を切断してから、再び舞台に立つことなど考えられない時間は長かった。主治医の岡本奈美は、テレビで海音の晴れ姿に胸を熱くしたという。
「海音ちゃんが元気になることは私たちの願いでした。私たちの思いを乗せてあの大きな舞台に立った海音ちゃん、見事でした」
そして岡本はこうも言った。
「あの子はどこか違う星から来たんちゃうかな。そんなことを思わせる不思議な子でした」
岡本が話したのは、海音が右足の膝下を切断する決断をしたときのことだった。海音のかかった多発血管炎性肉芽腫症は、自己免疫が血管を攻撃して痛めつけるという理不尽なメカニズムだ。
バービー人形のような容姿もさることながら、海音の思考に岡本は驚いたという。海音は拍子抜けするほどあっさりと受け入れたというのだ。
近い驚きを筆者もインタビューで感じていた。人気モデルが足を失うのである。その落胆は想像に難くない。ところが、「義足をつけて歩けるなら、早くそうしたいと思った」と、海音の言葉は短く静かだった。