人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、認知症の症状が一時的に改善した事例について。
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なぜ「オミクロン」はオという敬語がついているのかと、「テレビで会えない芸人」として映画にもなった友人の松元ヒロさんが笑わせてくれた。確かに……とわが家でも大受けだった。
そのオミクロンの感染拡大の速さといったら。あっという間にあたりを総なめにしてしまった。私は二月二十一日にワクチンを打ち終わったところ。ファイザーで統一できたが、二回目同様、まだ左腕が腫れ上がっている。
まわりには、コロナにかかり、治って仕事に復帰している人もいる。普通の風邪薬を処方されただけと言っている人もいた。たぶん軽症だったのだろう。
その一人から聞いた話をご紹介しよう。実家は九州。母上の認知症が進んで、弟夫婦と同居している。ときどき電話をしているが、娘である彼女の名前すら出て来ない。
それが、「お母さん! 私コロナになっちゃった!」と告げた途端、かつての母親の顔を取り戻し、
「え? ○○ちゃん、大丈夫? 熱は? 咳は?のどは痛むの?」
まず○○ちゃんと正確に彼女の名を呼んだことに驚いた。症状を細かく聞く心配りは、かつての母親と同じ。
次の日は、向こうから電話がかかってきた。認知症になってからは、母から電話をすることなどなかった。すべて受け身になり、自分で考えて行動したり、言ったりすることが消えた。
それが、娘がコロナにかかったと聞いた途端、長い間使わなかった母としての脳細胞が生き返った。離れているだけに心配で心配で仕方ない。
「今日は、何を食べたの? お薬はお医者様から頂いているんでしょう? 何か足りないものがあったら、こちらから送るからね。何でも言って!」
至れりつくせり。元気な頃の母が完全によみがえったという。
嬉しかった。一種のショック療法だろうか。娘がコロナになったと聞いた途端、心配で心配で脳細胞が刺激され、様々なことを思い出し、母親としてのかつての気働きをしっかりと取り戻した。