これまた死球をめぐるトラブルで角を突き合せたのが、巨人時代の清原和博と広島時代のトム・デイビーだ。

 事件が起きたのは03年7月23日。1回2死一、二塁、デイビーから左腕に死球を受けた清原が鬼の形相でにらみつけると、デイビーも英語でまくし立てながら距離を縮めてきた。乱闘は寸前で回避され、試合後、清原は「死球?大丈夫や。乱闘?全然」と意に介していない素振りを見せたが、2度目の対決となった8月1日にもトラブルが勃発した。

 3回に清原が三振に倒れた直後、デイビーが「フ××ク・ユー!」と叫んで挑発したのだ。その場はグッとこらえた清原だったが、翌日の試合前、通訳を伴い、練習中のデイビーに向かって「お前今からやるぞ、コラ!」と宣戦布告した。だが、通訳が上品な表現で伝えたことから、話がかみ合わず、清原は「もういいや」とそれ以上やり合うのをあきらめたという。

 それから3年後の06年、不思議な運命の糸に操られるように清原とデイビーはオリックスでチームメイトになったが、事件から月日が経過しており、特に仲が悪いというわけでもなかったと伝わる。

 移籍以外では、乱闘の数日後にオールスターでチームメイトになる皮肉なケースもある。

 乱闘の4日後にオールスターでバッテリーを組んだのが、80年の広島・福士明夫とヤクルト・大矢明彦だ。

 同年7月15日。9回に広島の4番・山本浩二が左こめかみに死球を受けて倒れたことが騒ぎのきっかけだった。

 怒声を上げながら真っ先にベンチを飛び出した福士は、球審が制止する間もなく、右足で捕手・大矢の後頭部を蹴飛ばした。

 退場になった福士は「暴力を振るったのは悪かったが、点差やカウント(3-2)からあんな考えられない投球をしたことのほうが、重大な暴力行為じゃないのか?」と試合後も怒りが冷めやらず、キックを浴びた大矢も「何が何だかわからないうちに、後ろから左こめかみを蹴られた」と不快感をあらわにした。

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仲直りできなかった2人