撮影:野村恵子
撮影:野村恵子

 一方、今回の作品は「Soul Blue」(12年)を撮影したときと状況が似ているという。

「あのころは神戸に住む親の介護があって、東京との間をしょっちゅう行き来する生活をしていたんです。気持ち的に積極的に取材に出られる状況ではなかった。なので、淡々とした日常のなかで、はっとしたものを写して、両親への追悼的なオマージュの意味を含め、『Soul Blue』にまとめた。その構成の仕方がこの作品とすごく近いんです」

 ちなみに今回、遠出の取材ができなかった理由は、新型コロナだ。

「この1年ほどは、女性のポートレートを除けば、何かを撮りに行くぞ、みたいなことはなかった。日々の生活のなかで出合ったことや身近な人を撮った。というか、むしろ、それだけですね。特別なテーマはないから、モチーフに海はあるわ、空はあるわ、人はあるわで、ぐっちゃぐちゃ。それをつないで、1本にまとめた」

■「骨はない、墓もない。写真に拝むしかない」

 しかし、「特別なテーマはない」と言う一方、「私の写真論みたいなところは暗にある」と漏らす。「なので、仲のいい身近な人たちは登場してもいいかな、と」。

 野村さんの写真論とは何か? なぜ、それが身近な人と結びつくのか? たずねると、野村さんはしばらく沈黙した後、こう口を開いた。

「結局、写真でしか残らないものがあると思って」

撮影:野村恵子
撮影:野村恵子

 そこで、話し始めたのは、映画「浅田家」のことだった。大津波が家々を押し流した東日本大震災。この映画は、がれきのなかから探し集めた写真を洗浄し、持ち主に返す活動を写真家・浅田政志さんを軸に描いた作品。

「彼らはものすごい労力をかけて、あの活動を一生懸命にやっていた。でも震災当時、私にはピンとこなかったんです。『いま、写真なのか? ほかにやるべきことがあるんじゃないか』って」

 そして、野村さんは、こう続けた。

「でも、あの映画を見て、やっぱり、そうなんだ、と思った。写真って、人の記憶を呼び起こす装置みたいだな、と」

 野村さんは両親が亡くなったとき、「遺言もあって、遺骨は海にまいた」。

「だから、骨はない、墓もない。写真に拝むしかない、みたいなことになっている。でも、逆に言えば、写真は残るもんだな、と」

 昔、野村さんは旅に出たとき、その日の出来事を書き留めた。しかし、いま、それを読んでも、何も思い出せないという。

「ところが、写真って、何十年も前のことでも、それを見ると、なんとなく思い出すんですよ。そのときの状況や雰囲気が脳裏に浮かび上がってくる」

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