和歌浦に宿泊した翌日は快晴・無風の天候に恵まれ、水鏡によるシンメトリックな作品を残すことができた。1971年の路線廃止後、321号が和歌山城南側の岡公園で保存され、往年の姿が見られる。 新和歌浦~権現前(撮影/諸河久)
専用軌道の権現前停留所で乗車扱い中の市駅行き700型。三重交通神都線から譲渡された電車で、神都線時代は伊勢神宮への参拝客を運んでいた。(撮影/諸河久)
一直線に敷設されたセンターリザベーション区間を走る車庫前行きの2000型連接車。中央通りの沿道は様々な商店が盛業しており、生活感に溢れていた。水軒口~高松(撮影/諸河久)
車庫前停留所に到着した東和歌山行きの電車。写真の300型は戦前生れの低床式ボギー車で、住友金属のKS-45-L台車を履いていた。(撮影/諸河久)
検修庫内で待機中の62号を庫外に出していただいた。戦後の鋼体化車体だったが、ヘルマンと呼ばれる稀有な単台車を装備していた。高松検車区(撮影/諸河久)
エンドスプリングのリーフバネと軸箱守に特徴が伺える謎のヘルマン台車。車輪直径は762mm。57年後にペックハム8B型台車だった事実が判明する。高松検車区(撮影/諸河久)