300系:新幹線初のフルモデルチェンジ車として登場。JR東海・西日本所属車とも、2012年3月16日に引退した(提供:東海旅客鉄道)
300系:新幹線初のフルモデルチェンジ車として登場。JR東海・西日本所属車とも、2012年3月16日に引退した(提供:東海旅客鉄道)

 最終的に<きぼう><たいよう><つばめ>などが残ると、学識経験者として招かれた作家の阿川佐和子さんが、父で同じく作家の阿川弘之さんの言葉を披露した。

「昔から日本の列車名には大和言葉が使われている、と父が申しておりました。<きぼう>を大和言葉にすると、<のぞみ>ですね」(読売新聞朝刊、2010年6月17日)

 これを受け、「300系が未来にかける当社の夢と大きな期待を担ってデビューする列車であり、お客様にとっても夢と希望に満ちた列車となるよう」(JR東海)という願いを込め、阿川佐和子さんが提案した<のぞみ>を受け入れる形で決定した。

 1991年12月6日、JR東海が<のぞみ>の愛称を発表すると、『鉄道ジャーナル』誌(当時、鉄道ジャーナル社刊。現在は成美堂出版刊)の編集長を務めていた竹島紀元(としもと)さんは目を細めた。感慨深げな様子が1992年3月号の編集後記に綴られている。

「かつて朝鮮半島の山野を驀進していた標準軌のSL急行<のぞみ>の愛称が半世紀ののち日本でよみがえり、同じく東海道新幹線の愛称に返り咲いてすでに30年近く親しまれてきた往時の兄弟列車──日満連絡急行<ひかり>と新しいペアを組んで21世紀へと“鉄道復権”のレールをひた走ることになったのは奇跡的な出来事であり、運命のめぐりあわせの不思議さに驚きつつ万感胸に迫るものがありました」

 同誌によると、<のぞみ>は1934年12月、釜山―奉天間(1225.6キロ。所要時間は下り列車が23時間10分、上り列車が23時間50分)を結ぶ急行列車が始まりだという。当時、朝鮮半島は日本の植民地で、竹島さんは父親の仕事の転勤で京城(現在のソウル)に在住していた。

 さらに同じ線路上で急行<ひかり>も運転されていた。当時、下関から関釜航路で釜山へ渡り、満州へ向かう「日満連絡ルート」が確立され、急行<ひかり><のぞみ>はその重責を担う存在だったのだ。

 急行<のぞみ>は1938年10月から、奉天から先、新京まで延長されたが、戦局の悪化、軍需品輸送の貨物列車運転による優等列車の削減に伴い、1944年1月末に廃止された。急行<のぞみ>の晩年、竹島さんは親許から離れ福岡県に住まいを移しており、京城に帰省や受験をする際は急行<のぞみ>に乗車したという。

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