シリーズ「100年企業」探訪。今回は、結婚式場や宴会場として人気が高く、芥川賞・直木賞受賞会見場としても知られる東京會舘。皇居前というロケーションに建ち、大正デモクラシー、敗戦、戦後の復興と激動の時代を見守ってきた。
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大正デモクラシーで自由な雰囲気が漂い始めたころ。3人の実業家が、壮大な宿泊宴会施設を造ろうと意気投合した。
帝国劇場の支配人として辣腕を振るった山本久三郎、東京商業会議所会頭の藤山雷太、西洋料理の三田東洋軒店主・伊藤耕之進の3氏である。
「当時の帝国劇場は、飲食が充実していなかったんです。山本氏は、ロンドンのホテル・サヴォイとその隣にある劇場のテアトル・サヴォイを視察しました。観劇の余韻を楽しみながら一流のレストランで食事をする様子を見て、日本でもと考えたんです。それで慶應の同窓生だった藤山さんに相談しました」
と説明するのは、東京會舘本舘副総支配人の山本健嗣さん。
当時の日本では、充実した公的施設を一部の特権階級のみが利用していた。今後どんどん経済成長していくなか、多くの人々が利用できる民間施設が必要だと考えていた藤山氏は賛同。一流ホテルに店を開業したいという夢を持つ伊藤氏も加わり、1922年に東京會舘がオープンした。
隣接する帝国劇場とは、緋色の絨毯を敷き詰めた地下通路で結ばれた。幕間や終演後、人々は東京會舘で料理を楽しんだ。
開業の2週間後には結婚式も催され、後に名物となる「舌比目魚洋酒蒸」も提供。しかしホテル業務は……。
「開業当日の新聞広告には、業務内容に『旅館』も入っているんですね。実際、5階に21室の客室を設け、そのフロアにパレスホテルと名前をつけていました。でも宿泊施設としての営業許可が下りませんでした。正確な情報はわかりませんが、一説によると当時の宮内省が、皇居の目の前にある立地を問題視したといいます。不特定の方が泊まるのは安全面でリスクがある、と」