それに加え、「調整がうまくいって体の状態が良すぎたこともマイナスに働く部分があった」と横川コーチはいう。98.5mで5位になった1本目のジャンプは、他の上位選手のように真っすぐ吹き上げる風の度合いが少なく、横からの風がほとんどだった上に、踏み切りのタイミングが少し早すぎたと説明した。
「今回は風の運がなかったのと、少し空回りした感じだったと思います。調整がうまくいった分、体を速く動かせるようになっていてタイミングが早くなった。ちょっと筋肉痛だったくらいの方がよかった感じはします。でも、失敗してもあそこまで飛べるのは力のある証拠。今回は風の条件がそのまま順位に表れる試合になったが、1本目は同じ風だったら、高梨が一番飛んでいたと思います」
2本目は100mを飛んで意地を見せたが4位。さらに3日後の混合団体では、1本目に103mを飛びながらその後のマテリアルチェックでジャンプスーツの規定違反となって失格。メダルを逃す4位と悔しい結果になった。
だが、2月26、27日のヒンツェンバッハ大会を欠場して気持ちを立て直した高梨は、3月2日のリレハンメル大会初日には1本目に130mを飛んで2位につけると、2本目は132mで五輪優勝のボガタイを逆転して優勝。追い風ではあったが、上位選手はほぼ同じくらいの風速という同等な条件だったことを生かした勝利だった。
その翌日は4位だったが、会場をオスロに移すと5日は3位になり、6日は1本目、2本目ともに1位のジャンプをして2位のボガタイに4.6点差と気持ちいい勝利を飾った。
リレハンメルとオスロはラージヒルで、ノーマルヒルよりパワーが勝敗に介在することは若干少なく、ロスのない鋭い飛び出しに加えた空中のスキーの進ませ方の技術のうまさをより生かせる。特にオスロで優勝した時の2本のジャンプは、北京五輪の時に比べれば上半身には全く力が入っていないスムーズな飛び出しで、本来の高梨のテイクオフだった。リレハンメルで勝ち、前日も3位になっていた自信が、そのまま気持ちや動きに表れているようなテイクオフ。「五輪の重圧はそこまですごかったのか」と再認識させられるような動きだった。