■工場を乗っ取られた

 新しい世界でもがいていた角田の話し相手になったのが、小笠原だった。彼は事業再生や知的財産、紛争解決を担当していた。何にでも首を突っ込み、常に新しいこと、面白そうなことを探しているような男だった。

 小笠原の祖父は工場の経営者だったが、騙(だ)されて工場を乗っ取られた。その話を祖母から聞いた彼は「優秀な法律家がついていたら、守ることができたかもしれない」と思った。それが大手事務所に入って企業法務をやろうと思った理由である。

 同世代の弁護士たちは、大きな組織のなかで何とか業績を上げようと「いい契約書」作りに勤(いそ)しんでいた。だが2人は出世競争に全く興味がなかった。

「これから法律の分野では、どんなニーズが出てくるだろう」

「テクノロジーがこれだけ進化しているんだから、新しい法領域が生まれるはずだ」

 2人が事務所の食堂で話すのはそんなことばかり。特にテクノロジー好きの小笠原は「これからはフィンテックが熱い」「AIが面白い」と語った。

■レビューに疲れ切って

 13年に英オックスフォード大学准教授のマイケル・A・オズボーンらが発表した論文「雇用の未来─コンピューター化によって仕事は失われるのか」は、「20年後までに人類の仕事の約50%がAIないしは機械によって代替される」と予測。日本にも大きな衝撃を与えた。なかでも角田や小笠原が担当している企業法務の分野は、企業の法務担当者や顧問弁護士が知識と経験を頼りに、毎日、膨大な紙の資料と格闘しているIT化が最も進んでいない領域の一つだ。

「ここにテクノロジーを持ち込んだら、新しい可能性が開けるんじゃないだろうか」

 目を皿のようにして契約書をレビューする日々に疲れていた角田は、そう考えるようになった。間違いを探すのが当たり前で、見落とせば怒られるが、見つけても褒められはしない。心の底から「コンピューターが助けてくれたらなあ」と思った。

 角田たちは副業が認められていた。角田も事務所の仕事をこなしつつ、国選弁護士の仕事を引き受け、少年事件なども手がけていた。事務所に籍を置いたままベンチャーを立ち上げることもできたが、仕事の忙しさを考えると両立は難しい。結婚して子供が生まれたタイミングでもあり、角田は独立を決意する。

 弁護士が独立するといえば、普通は自分の事務所を持つことを指す。2人が辞める時も周囲は「ああ、独立するのね」と当たり前に受け止めた。2人が「テクノロジーを使ったリーガルサービスの会社を作る」と話すと、上司は少し驚き「面白そうだね、頑張って」と言った。(敬称略)(文/ジャーナリスト・大西康之)

AERA 2022年3月28日号より抜粋

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