
角田の父親は大学教授だったので勉強はしたが、ガリ勉だったわけではない。子供時代はトレーディングカードに熱中し、釣りやサイクリングを楽しんだ。中学時代、山崎豊子の『白い巨塔』を読み、医療ミスで死亡した患者の遺族を支え、大学病院の権威に守られた教授の嘘(うそ)を暴く無名の若手弁護士に憧れた。自分の腕一本で戦える。困っている人を助けられる。そんな弁護士になりたいと思った。
京大法学部にはいろんな学生がいた。角田は真面目に勉強したが、ワンダーフォーゲルのサークルや「食べサークル」に入って青春を謳歌(おうか)。イベントサークルの手伝いでスポンサーや参加者を集めたりもした。10年に京大の法科大学院に進み、在学中に旧司法試験に合格。司法修習が終わる頃、同期が尋ねた。
「どこの事務所に入るの?」
「え、俺らも就活せなあかんの」
司法試験を通ればすぐに仕事が入ってくるものと思っていたが、違うらしい。慌てて就活を始めた角田は、4大事務所で最も風通しが良さそうだった森・濱田松本法律事務所に入った。
■『白い巨塔』とは別世界
働き始めてすぐ、角田は自分の仕事のできなさに愕然(がくぜん)とした。担当したのは企業の株主総会対応やコーポレートガバナンス、M&Aなど。海外企業と提携するクライアントのために、英語で書かれた大量の書類をレビュー(誤記や記入漏れ、不利な条項などがないかのチェック)する。株式の大量保有報告書の日本語版と英語版を突き合わせてチェックしたり、買収候補の海外企業の事業内容を調査したり。『白い巨塔』の弁護士とは全く違う、プロフェッショナルなビジネスの世界だった。
巨大法律事務所で求められたのは、弱者を助けることとか、正義を守ることではなく、クオリティーの高い成果物を作ることだった。膨大な事務作業をこなし、ミスなくいい契約書を作るのが「優秀な若手」とされた。
これまで挫折らしい挫折を知らず通り抜けてきた角田にとって、それは自分の力が通用しない初めての経験だった。勉強を苦痛に思ったことはなかったが、仕事は「つらい」と感じた。