「相手の反応をみながらエスカレートさせた」と裁判員たちは判断したが、女性は一度も同意などしていない。ずっと固まっていただけである。それは生きて家に帰るために、明日も生きていくために必要な行為だった。性暴行の末、殺される女性のニュースを私たちはいくつ知っているだろうか。「抵抗したから殺した」と言う犯人の言い分を、私たちはいくつ聞いてきたことだろうか。夜中に知らない男から声をかけられる恐怖、つきまとわれる恐怖を味わったことのない人の考える「常識」が、性暴力を再生産させ続けているのだ。

 被害を受けた女性が取った行為は全て立派だった。自分を守り抜き、きっとすごく怖かったと思うが警察に行き相談し、裁判を最後までがんばった。そういう被害者の訴えを「加害者の常識」に照らして判断することの過ちは繰り返すべきではないのだと思う。

 フラワーデモは4年目になる。デモを終えた行幸通りで、帰りがたい気持ちで残った人たちと話した。「がんばったよね」「私たちえらいよね」、そんなふうに言い合いながら、社会の「常識の壁」に、被害者が怯えない夜を諦めたくないと強く思う。

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