時を経て、弟子入りというシステムではなく吉本興業で言うとNSCという学校を経てこの世界に入るようになりました。ネタを作る時の暗黙のルールみたいなものも様変わりしました。いわば何でもアリというか、何をやってもいい。そんな空気になっていきました。
そこからまた時代が変わって、今は師匠ではなく、世間というところから「これはアカン」というルールが提示されるようになりました。こっちはね、だいぶキツイとは思います。
ホンマに難しいところです。笑いは変わりますから世の中に合わせて変化するものではあるんですけど、ここ何年かの流れはだいぶ激しい。それは感じます。
どこかで「漫才は別物」と思っておいてほしいという感覚もあります。道でいきなり人を殴ったら犯罪ですけど、プロレスのリングでは日々殴り合っている。お笑いに何もかも全ての“正しさ”を当てはめたら、特にまだこれからの若い人はなかなか厳しいとは思います。
そして、もう一方で、思うこともあります。矛盾するかもしれませんけど、そんな際どいこと言わんでも、しっかりとした腕があれば笑いは取れる。これもね、一つの真理として思うところではあります。ただ、それはすぐにはできんことですけどね。
難しい時代ではありますけど、それでも笑いは求められていると思いますし、新しいスターが出る流れもなくなってはいない。誰かは売れるわけです。
売れるために大切なこと。これはね、僕はですよ、研究やと思います。
人のネタを見る。ネタを書く。笑いを考え続ける。それが必要やと思います。これから他の人よりも頭一つ、二つ出ていこうと思えば思うほど、そこは絶対だと思います。
「たまたま良いネタができた」ということはないですからね。ずっと、ずっと、ずっと、考えているから、ある日ポロッと良いネタが浮かぶんです。
それとね、これは根本のことになりますけど「善人であれ」ということです。いくら漫才がうまいとなっても、悪い人間ではダメです。