昔は、今よりもっと気持ちが燃えていたのかもしれませんけど、そもそも「M-1」の審査員をするようになった流れでいうと、自分から(島田)紳助に「やらせてくれ」と言ったんです。テレビで「M-1」を見ていて自分が感じたことをリアルタイムで出場者に伝えたい。それが最初の思いやったんです。
テレビで見て何日かたってから、劇場で会った時に感じたことを伝える形でもいいのかもしれませんけど、あの場で直接伝えることの意味は大きいだろうなと。そして、それをやるなら審査員の席に座るしかない。そう思って始めたんです。
ただね、これはね、非常に疲れます。一組一組、ネタをしている4分の間にいろいろ考えるんです。もちろんネタの評価もしながら、その後に「これは言った方がいい」とか「これはこの場では言わない方がいい」とかも考えながらネタを見る。
そんな感じでフルパワーでネタを見てたらね、たいがい、5組くらい審査したところでものすごく頭が痛くなってくるんですよ。
テレビ朝日で生放送ですから、東京の友だちから「終わってからご飯でも」みたいな連絡が来ることもありましたけど、とてもやないけど、そんな余裕はない。フラフラになってホテルに戻る。それが精いっぱいです。
一昨年には「マヂカルラブリー」のネタが「あれは漫才なのか」という論争を呼んだとされたり、去年でいえば「ランジャタイ」が独特なネタをやったり、漫才の変化も急スピードで進んでいると思います。あと、時代の変化ですよね。そこも非常に激しい。それも感じます。
チビ、デブ、ブスみたいな容姿をネタにしない。例えば「ブラックマヨネーズ」の小杉に吉田が「ハゲ」と言うのは相方に言ってるわけやから別にいいんじゃないかともとれますけど、そうなると世間の薄毛の人がイヤな思いをするという解釈が出てくるのが今の世の中です。
僕らの若い頃はね、師匠方から言われてました。ネタの中に歌を入れたらアカン、人の名前を出して笑いを取ったらアカン、下ネタとかびろうなことを使ったらアカンと。