現世で出会う人達は、かつて過去世で何らかの因縁のあった人達であるといわれます。特に家族構成は、特別縁が深い魂同士が引き合って、そこで夫婦や子供がひとつ屋根の下で集まった結果だといいます。過去世といっても、何百回かの中で、お互いの魂は時間と場所(国)をあちこちと彷徨しながら、どこかでパチッと出合うのです。しかも今生での性が男性であっても、過去世では女性であったり、今、日本人でも、過去にはヨーロッパ人やアフリカ人であったりもするかも知れません。
このように魂は時間と空間の中をあちこち彷徨って、ある瞬間にパッと出合って家族を形成するのです。まあ一種の化学反応を起こすのかも知れません。家族だからといって必ず性格が一致するとも限りません。むしろ不一致な者同士が出合うことで、そこで初めて新しい修行のチャンスを得るのかも知れません。何もかも一致するような性格なら、修行にならないので、あえて不一致同士を出合わせるのではないかと僕は想像します。
また性別や出生国を変えることで、未体験を体験しながら、多様な魂の経験を踏んでいくのではないでしょうか。また親子の関係でも、かつては敵対視した仲かも知れません。これも愛憎の両方を体験しながら、いずれ不退転者となって、二度とこの地球には転生しないで、天上での永遠の生を約束されるか、または別の惑星に転生するということも考えられます。
家族だけではなく、友人同士、組織の人間同士にも同じ親和の法則が働くのかも知れません。ある場所で一瞬パッと出合っただけで結婚したり、コンビを組んで仕事を長年続けるという関係も何らかの宇宙的(大袈裟だね)邂逅(かいこう)によって、そこで思わず社会的貢献をするような仕事に発展していくこともあるかと思うと突然ケンカ別れをしてしまうこともあります。こうした原因も長い輪廻転生の中でのカルマ(因果)の法則によって起こるもので、理不尽なもので、理由を追求してもわかりません。そう考えるとわれわれ人間はこの気が遠くなる輪廻転生のサイクルの中で生死を繰り返しているので、そこに理屈なんかを持ち出してもわかりません。何が正しくて、何が間違っているのか、そんなこともわかりません。それをアゝだコオだと言っているのがこの現世だからこそですかね。
今回の鮎川さんが僕に与えて下さったテーマを、あれこれコネ廻して考えてみましたが、まあ、こんなところで如何でしょうか。毎回公案を出されているようで、その昔、禅寺に参禅していた頃を思い出します。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2022年5月6・13日合併号