ジャイアントパンダ(以下、パンダ)が初めて日本に来たのは、1972(昭和47)年10月のことです。当時、日本ではパンダについてほとんど知られていませんでした。もちろん飼育した経験のある人もいませんでした。そのような時代に、急遽パンダの受け入れ先に決まった上野動物園では、大急ぎで準備が進められたといいます。試行錯誤の連続だったという当時の様子を、飼育員の一人としてかかわった成島悦雄さんの寄稿文(黒柳徹子と仲間たち・著『パンダとわたし』収録文の一部を抜粋・再構成)から振り返ります。
【写真】パンダ初来日前、唯一パンダを実際に見たのは中川飼育課長だけだった
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仰天したパンダ来日のニュース
パンダのオス、メス一つがいを贈られることになったとのビッグニュースを見て、上野動物園の浅野三義・園長(以下、役職は当時)と中川志郎・飼育課長はたいへん驚きました。パンダがどこの動物園で飼育されることになるかは発表されませんでしたが、上野が引き受ける可能性を考えてとりあえずパンダ受け入れの準備はしておこうと話し合ったそうです。
現在でこそ誰でも知っている人気者のパンダですが、当時、名前は知っていても実物のパンダを見た日本人はほとんどいません。上野動物園でも中川課長が唯一実物のパンダを見た人でした。中川課長はパンダ来日の3年前の1969(昭和44)年、ヨーロッパ海外研修の際にロンドン動物園でパンダの飼育実習を1週間行っていました。
当時、ロンドンにはオスのチチと、繁殖のためにモスクワ動物園からやってきたメスのアンアンが飼育されていました。中川課長は早速、3年前の研修記録を引っ張り出すとともに、パンダに関する文献集めに取りかかりました。
手もとにあった本はデスモンド・モリスのMen and Pandas(当時は英文のみ、邦訳『パンダ』)、林壽郎の『標準原色図鑑全集別巻動物II』、そしてシカゴ・ブルックフィールド動物園による『ジャイアントパンダの解剖』だけだったそうです。今でこそインターネットを検索することで瞬時に世界中の情報を収集できますが、当時は情報砂漠の真っただ中にいるような状況でした。