その甲斐あって、4月7日の開幕戦、中日戦で4番デビューをはたし、西本聖から来日1号を放ったが、好事魔多し、4月中旬に肋骨骨折で離脱してしまう。
しかし、復帰後の5月19日の広島戦では、球場の外を歩いていたカップルを仰天させる推定140メートル場外弾を放ち、8月29日のヤクルト戦でも、横浜公園まで届く推定160メートル場外弾を記録した。
さらに9月15日のヤクルト戦では、こけら落としとなった勝田市民球場の第1号となるシーズン26号を放ち、リーグトップの落合まで3本差に迫った。
ところが、これからラストスパートというときに左足を骨折し、残り14試合を棒に振ってしまう。
出場104試合で打率.275、77打点と助っ人として及第点の成績を残したものの、4月の肋骨骨折、6月の左足関節捻挫に続くシーズン3度の故障は、大きなマイナス材料となり、ロバート・レイノルズの獲得で外国人枠からはみ出て、解雇された。
大洋は92年に打率.308、26本塁打を記録し、100打点で打点王を獲得したラリー・シーツも契約面で折り合わず、1年で退団。当時の大洋は、毎年のように優良助っ人が入団してきたので、見切りも早かった。
2000年代では、2000年に西武入りしたトニー・フェルナンデスも、ハンマーで素振りをするなどのユニークなトレーニングで話題を呼び、リーグ4位の打率.327をマークしたが、38歳という年齢から、これまた1年で日本を去っている。(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。