11月末、帰国して膝の治療を受けたハドラーから「来季のプレーに支障がない」と連絡が入ると、ようやく再契約に向けて交渉を始めることになったが、その矢先、前巨人の長距離砲、ジェシー・バーフィールドの入団が内定したことから、ハドラーは押し出される形で自由契約になった。
ところが、バーフィールドもアストロズとの二重契約問題でまさかの獲得断念。ここでもハドラーは代役としてお呼びがかからず、入団したのは、ジェラルド・クラークだった。
そのクラークも、翌94年は打率.293、20本塁打とそこそこの成績を残しながら、1年で解雇されている。
ベストナインに選ばれたのに、1年限りで退団したのが、90年の中日・バンスローだ。
ファーストネームの「バンス」にファミリーネームの「ロー」をくっつけてフルネームがそのまま登録名になった助っ人は、酒もタバコもやらない敬虔なモルモン教徒だった。
家族思いでも知られ、5月23日の巨人戦では、夫人と4人の子供をナゴヤ球場に呼び、「今日はドアラ人形を貰ってあげるよ」と約束。その言葉どおり、斎藤雅樹から8号ソロを放ち、賞品のドアラ人形をゲットした。
その後も7月8日の阪神戦で4打数3安打5打点を記録するなど、落合博満のあとの5番として活躍し、打率.313、29本塁打、78打点の好成績で、三塁手部門のベストナインに選ばれた。
星野仙一監督も「来季は3番」と期待したが、8歳の長女が脳腫瘍で闘病中だったことから、帰国後の11月19日、「家族との時間を優先させる」と退団を申し出、アスレチックスと契約。「本当に痛い」と星野監督を残念がらせた。
特大の場外弾を連発したにもかかわらず、1年で解雇されたのが、90年に大洋入りしたジョーイ・マイヤーだ。
後に横綱に昇進した曙の従兄弟としても話題になった助っ人は、練習時間の長い日本にあっても、“郷に入っては郷に従え”でキャンプから手を抜くことなく、まじめに調整を続けた。