英語の勉強にはこういう教材らしくないものを使ったほうがいい。今はYouTubeをはじめ、いろいろな動画で英語字幕を出せるので、無限にある英語コンテンツの海に飛び込んでみるといいと思います。
あとは中途半端に日本語を経由して学ばないことですね。日本語で書かれた教材を中心に勉強すると、どこまでいっても日本語の世界で、壁を通して英語の世界を見ている状態です。それよりも、壁の向こう側に飛び込んでしまったほうがいい。
■言葉の中心にあるのは人間
ただ、近い将来、日本人のほとんどは英語を身につける必要がなくなると思います。自動翻訳、自動通訳の性能が上がり、あとはインターフェースをどうするかといった作り込みの段階に入っています。英語を学ぶ意味は薄れ、どうしたら機械に委ねられるかという、AI(人工知能)を使う技術のほうが重要になる。
残る問題は、そういう合理的なシナリオでいいのかということです。コストパフォーマンスはよくても、英語を必要とする人だけが学べばいい、という選別主義的な寒々しい世界観なので、言葉についてはみんなが学ぶことに意味があるという考え方もあり得ると思います。
僕は研究者として論文を読んだり、書いたり、人と議論をしたりするなかで英語を身につけましたが、アカデミックな世界では大勢の人に情報を伝える能力も求められます。それは今でも苦労しているところです。他の仕事と同様に、人間関係を作っていく力も必要なので、日本語の敬語のような、相手の立場や気持ちを慮る言い回しや言葉の選択を身につけることも重要です。
言語は何かを伝えたり、人や物にアクセスしたりするための一つの手段に過ぎません。中心にあるべきは人間です。英語の習得自体を目的にしないで、自分を中心に置き、自分なりの英語教材を手に入れればいい。
英語のコンテンツはネット上にいくらでもあるし、発音練習のためのアプリもいいものがあります。日本にいながら英語の海の中で生活したり、もがいたりすることもできます。アメリカに住んでいる日本人より英語が上達してもおかしくない時代ですから、どんどんやってみるといいと思います。