須山さんの壮行会での一コマ。白石浩三さん(左)、須山さん(白石さん提供)
須山さんの壮行会での一コマ。白石浩三さん(左)、須山さん(白石さん提供)
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 東京大学の現役学生が角界に入り、大いに盛り上がる東大相撲部。東大相撲部の稽古の内容は? 歴史は? 学業との両立は? 東京都相撲連盟常任理事で東京大学相撲部OB会幹事長の白石浩三さんに話を聞いた。

【表】東大相撲部の歴史はこちら

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 日本相撲協会は夏場所初日の5月8日、新弟子検査の合格者を発表。須山穂嵩さんが合格し、東京大学から初めて大相撲の力士が誕生した。須山さんは東大に入学後、相撲を始め、相撲部の主将を務めた。身長1メートル80センチ、体重104キロの24歳。埼玉県ふじみ野市出身の現役東大生だ。今後、木瀬部屋で力士として身を立てるが、単位取得のためしばらく東大にも通う。

 そんな須山さんを生み出した東大相撲部はどんなところなのか。東大相撲部OB会幹事長の白石浩三さんが言う。

「東大相撲部は高校までの相撲経験者はほぼおらず、いわば素人集団です」

 白石さんも相撲が好きだったが、大学から本格的に相撲を始めた。

 東大相撲部は1975年に現OB会会長の櫟原(ひらはら)利明氏が相撲好きの学友を誘って同好会として創設、運動会直轄部を経て2004年に運動会正式部に昇格、部員不足などの困苦を乗り越え3年後には創部50周年を迎える。

「東大では運動会と呼ぶのですが、いわゆる体育会なので練習は厳しく行っています。ただ部員はフラットな関係で気兼ねなく意見を言えます」

 お互いを大相撲の力士のように“四股名”で呼ぶことがいい例だと話す。

「私は愛媛県出身なので伊予の富士で、伊予関と呼ぶ人もいます。現在テレビ朝日取締役の伊賀上野出身の高田覚さんは、美しい白亜のお城伊賀上野城から取って白鳳城です。今も四股名で呼ぶので、知らない人はきょとんとしています(笑)」

 現在は創部40年を経て櫟原氏のように日本相撲連盟常務理事や日本相撲協会顧問を務めたり、民間や官公庁の重役となるOBが出てくるなどOB会の支援も充実しているが、創部当初はOBも少なく、実績作りに奔走したそうだ。

「正式な運動会になるまで約30年かかっていますが、その間にしっかり成績を残しています」

 まず第1期黄金時代が80年前後で、78年に東大京大対抗戦が開催され、団体と個人で優勝。81年には全国学生相撲選手権大会Cクラスで優勝を飾る。第2期黄金時代が90年前後で、89年に全国国公立大学対抗相撲大会団体で初優勝、その後5連覇を達成した。そして第3期黄金時代が00年前後で、01年に初めて開催された七大学戦(旧七帝国大学対抗戦)の団体で準優勝を果たす。

 東大相撲部は何を目指しているのか。

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